2012年05月13日

夏に備えて

 杉花粉よ、サヨウナラ!

 待ちに待った爽やかな季節となり、庭の草刈りを一時間ほどやる。晴れているわりにひんやりとした風が吹いていたのに、だんだん汗が出てきた。しんどい。

 ふだん動かしていない筋肉を使うせいか、すぐに疲れる。いまからこんなでは、夏場はどうなってしまうのか、ため息が出てしまう。

 「日本生気象学会」が出した熱中症予防指針をNHK(WEB版)ニュースで読んだけど、ちょっと意外だった。

【熱中症予防 この時期から運動と牛乳を】
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120513/k10015085701000.html

 以下、一部引用。

 暑さに備える工夫としては、5月、6月から、汗ばむ程度のややきつい運動を一日30分行い、その直後に牛乳など糖質とたんぱく質を含む食品を摂取するよう呼びかけています。

 それを、週に4日以上、1か月行うと、血液量が増えるために汗をかきやすくなって、暑さに強い体を作ることができるとしています。

 お年寄りなど体力に自信がない人には、望ましい運動として、速歩とゆっくりとした歩きを3分ごとに繰り返す「インターバル速歩」を勧めています。
    
 

 この指針は、近く日本生気象学会のホームページに掲載される予定だそうだ。

 なるほど、今から身体を慣らしておくことが大切なのね。ただ、牛乳とは意外だった。まあ、毎日飲んでいるので、その点は軽くクリヤ。

 問題は、汗ばむ程度の運動を週4日以上実践できるかどうかだ。

 さて、どうしたものか…。

 夏バテに苦しむことを考えたら、今の努力の方がラクだろう。

 ウ〜ン、やるっきゃない!……かぁ。
のり at 23:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記と雑記

2012年05月08日

「そうでなかったら、どうしてブログをするだろうか」

 このブログを開設して7年以上になる。5年前に生活が変わってからは更新の頻度が下がり、消滅しそうになったこともあったけれど、やめたら何か大きなものを失ってしまうようで、細々と続けている。

 「何か大きなもの」の正体は、たぶん「自己表現の場」だ。人によって方法は様々だけれど、わたしには書くことが一番なんだと思う。失うのが怖い。自己表現欲が満たされないと、きっと鬱になる。

 たとえ自分のことを書かなくても、どう考えているか、どう感じているか、思考の傾向などが出ることによって、やはり自分を語っているのだ。まさに「文は人なり」。

 【脳科学で解明、人が自分について語りたがるわけ─氾濫するSNS】(THE WALL STREET JOURNAL)という記事では、ネットで自分を語る人たちの心理も分析している。


 以下冒頭部分の引用。

 自分について話すことが、食べ物やお金で感じるのと同じ「喜びの感覚」を脳のなかに呼び起こすことが、7日発表された研究で明らかになった。個人的な会話であっても、フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアでの発信であっても、それは変わらない。

 日常会話の約40%は、自分が何を感じ、どう考えたかを他人に話すことで占められている。米ハーバード大学の神経科学者らが脳画像診断と行動に関する5つの実験を行い、その理由を解明した。脳細胞とシナプスがかなり満足感を得るため、自分の考えを話すことを止められないのだ。



 なるほど、喜びの感覚かあ。そうかもしれない。きっとそうだ。記事の締めくくりにあるテキサス大学の心理学者、ジェームズ・ペネベイカー氏の言葉が心にすっと入ってきた。

 「人は、他人に話を聞いてもらうのが好きなのだ。そうでなかったら、どうしてツイートをするだろうか」

 わたしはゆっくり息を吐きながら、何度も大きく頷いた。
のり at 22:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記と雑記

2012年05月03日

松井選手にエールを

 わたしにとって、青春という言葉は、イコール野球だった。とにかく夢中になっていた。いまはあのときの情熱がなくなり、テレビ観戦もしなくなってしまった。

 そんなわたしでも気になっている日本人選手がいる。元巨人の松井秀喜選手だ。

 大リーグの名門ヤンキースで活躍し、その後ケガや不振に苦しむ。今年はシーズンが始まっても所属チームが決まらなかった。どうなるんだろうと心配だったけれど、先日レイズとマイナー契約を交わしたという報道を聞いて少しほっとした。

 下記の北國新聞のコラム「時鐘」(5/3付)を読んで、どんなときも何があっても松井は松井であって、ぶれない、本物の大人だな、と改めて思った。


 入団会見中、松井秀喜選手は一度も表情を崩さなかったと、本紙記者が報じている。はじける笑顔はなく、無礼な質問にマユをひそめることもなかったという。

 あの時みたい、と思った。20年前、星稜の4番として出場した甲子園で、5打席連続敬遠という「事件」に出くわした。球場は大騒ぎとなり、本人は冷静な態度を貫いた。状況は違うが、強い意志と秘めた闘志を思う

 野球の本場は、非情(ひじょう)な勝負の世界でもある。それがよく分かった。「世界一のヒーロー」に輝いた男を、球団が次々とソデにする。日本なら大勢のファンが球団に愛想をつかしただろう。そのくせ社交辞令は上手で、「チームにとって大きな存在」と言いながら、2軍契約なのである。ファンも笑顔全開とはいかない

 非凡な才能を持つゴジラでも、大きな壁にぶつかることがある。大切なものから遠ざけられ、きちんと評価されない苦しさを味わったに違いない。これからは、強さプラス一皮むけたゴジラの逆襲である

 つらい浪人生活を、「迷いはなかった」と言い放った。淡々とした口調だったというから、実に頼もしい。



 自分よりずっと年下の松井選手だけど、尊敬の念を禁じえない。

 そのまま、信じたまま、進んでください。遠くから応援してます。

2012年04月22日

日本人と…

 外国の人が日本の文化、風習、生活などをどう見ているのか知るのが好きで、そういった海外の反応を翻訳してくださっているサイトを見て回ることがある。

 たとえば実物大のガンダムの映像に、「こんな(アホな)ことするのは日本人だけだぜ。だから俺は日本が大好きなんだ!」みたいに書かれると、妙に嬉しくなってしまうのだ。

 きょうもそんなサイト巡りをしていると、この動画が紹介されていた。見ているうちに最近よくコメントをくださる伊東さんにも教えたくなった。桜も昆虫も大好きだそうなので、どうかしらん。

※注意
・BGMが流れます
・右から流れるコメントを消したいときは、右下隅の吹き出しの絵をクリックして下さい


【日本人と桜】【日本人と昆虫】
 
 日本なら子供でも知っている『ファーブル昆虫記』のファーブルは、自国では一般的に知られていなかったと聞いたことがある。西洋ではあんまり興味がないんですね。日本以外のアジアではどうなんだろう。そして、仮面ライダーは昆虫がモデルだったのね。

 桜の家紋がこんなにあるなんて、知らんかった…orz。 それにしても桜の方のBGM、悲壮感が漂ってやしませんか。気のせいかな。
のり at 15:03 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記と雑記

2012年04月20日

よろこびをもて水の音聴く

 昨夜、バラエティー番組でオノマトペ(擬音語、擬態語)のゲームをしていた。複数の人が一枚の写真を見て、思い浮かんだオノマトペを同時に発し、同じだったら得点になる。

 面白かったけど、このコーナーはもうちょっとやり方をひねらないとすぐにネタ切れになるんじゃないかな、と思った。日本語のオノマトペは豊富だけれど、案外決まったパターンがあって、答えを合わせようとすれば、ほとんど応用がきかない。個性的な感覚で答えたら他人とは一致しない。

 本日の北海道新聞(WEB版)のコラム「卓上四季」に、歌「春の小川」のことがあった。そういえばこの歌を知っている人に、「春の小川」で浮かぶオノマトペは? と出題したら、ほとんどが「さらさら」と答えるに違いない。


 春の小川はさらさら行くよ―。誰もが口ずさめる歌「春の小川」が発表されて、今年でちょうど100年という。作詞した国文学者高野辰之の故郷・長野県中野市にある記念館によると、1912年に当時の尋常小学4年用唱歌として教科書に載った。

 もとの歌詞は文語調の「さらさら流(なが)る」だったが、後に文部省が「さらさら行くよ」に改めた。好みにもよるが、「行くよ」は、あの「方丈記」の冒頭部<ゆく河の流れは絶えずして―>を連想させ、はかなげな春の面影をうまく伝えている気がする。

 とはいえ、以前どこかで「春の小川は『さらさら』なんて流れない」という話を読んだ覚えがある。北国の春の川は雪解け水をはらんで、怒濤(どとう)の如く「どうどう」と流れるという趣旨だった。

 先日、本紙生活面のコラム「再発見・ふしぎ 北海道」で、学芸員の池田貴夫さんが、大学の先生の講演を引き、<春の小川は「ねばねば行くよ」が正しい>と紹介していた。冷水は氷(固体)に近いため、粘り気が強いそう。

 水ぬるみ、流量の増減に従って、「ゆく川の流れ」は、「ねばねば」「どうどう」から「さらさら」へ―。季節の移ろいを映し、川水も姿を変えていく。

 きょうは、二十四節気の「穀雨」。百穀にとどまらず、万物を潤す水に感謝したい。<長く長く忘れし友に会ふごときよろこびをもて水の音聴く>(啄木)


 わたしは感覚的に、水に対して「さらさら」はちょっとひっかかるものがあったけど、春風の軽やかさにも似ているのかなとも解釈していた。

 もし北国に暮らしていたら、雪が溶けて行くありさまが川の流れにつながって、たしかにもっと力強い言葉がふさわしく思うかもしれない。擬音語というより新しい命を感じる擬態語として。