2005年11月28日

少年が受け取った贈り物

 最近は聞かなくなったけれど、昔は新聞少年という呼び方があった。少年が朝夕とどんな日も欠かさず新聞を配達することは、軽い気持ちではできないことだ。山本一力さんもその一人だった。(「にこにこ貧乏」【週刊文春 12月1日号】)

 わたしが新聞配達をしていた昭和三十七年〜四十一年の冬は、指先や耳に痛みを覚えた。防寒具などは皆無。首に巻いた手拭いで寒さの侵入を防ぎ、軍手を二枚重ねにして指先をあたためようとした。
 が、木綿に暖や保温を求めても詮無いこと。

 そんな寒くて辛い配達のなかで、山本さんは温かくて感動的な体験をしている。12月25日の午前5時半ごろ、ある家の郵便受けに朝刊を入れたときのこと。

 「ちょっと待って」
 玄関ドアから出てこられたのは、その家の奥方。夜明け直前の、冷え込みがきついときだ。しかし彼女は薄いセーター姿で、肩にショールを一枚かけているだけだった。
「毎朝、ごくろうさま」
 彼女はクリスマスの贈り物を用意して、配達を待っていてくれたのだ。
 東京銀座・松屋デパートの包装紙に包まれた小箱には、暗がりでもまばゆい赤いリボンが結ばれていた。
「風邪をひかないでね」
 彼女がドアを閉めるまで、わたしは言葉を失って立ち尽くしていた。

 山本少年にとって、まさに夢にも思わなかったクリスマスプレゼント。はやる気持ちを抑えて、配達を終らせ、手を洗ってからリボンをほどいたという。中身はハンカチだった。このクリスマスプレゼントは高校卒業までの四年間、毎年続いたそうだ。山本さんはそのご婦人の立場になって考える。新聞配達の時刻はほぼ一定であるけれど、必ず決まった時刻とは限らない。

 クリスマス・プレゼントを用意してくれた奥方は、真冬の未明に、ドアの内側でじっと待っていてくれた。
 しかも、ただ待っているわけではない。物音に気を払い、ゴトンッという音を聞くなり、すかさずドアから飛び出すのだ。
 ギフトには、ロータリークラブのグリーティング・カードが添えられていた。
 見返りを求めず、ただ配達員をねぎらうためのギフト。
 あれこそ、『賢者の贈物』だったと思えてならない。

 山本さんのこの想像力は、人を深く温かく理解しようとする力であり、人間模様を描くのに欠かせない観察力でもある。自分以外の人の立場で考えることは、想像力がなければできない。この奥様から目に見えるプレゼントをいただいただけでなく、その心をしっかりと受け止めている。贈る側が思いやりのある人であったばかりではなく、贈られた側がその心情を慮ることのできる人であったからこそ「賢者の贈物」となったのだろう。
のり at 16:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山本一力

2005年11月27日

ブラックバスを食べようか

 椎名誠さんの「風まかせ赤マント」【週刊文春 12月1日号】によれば、ブラックバスはおいしいそうだ。

 ぼくが最初にブラックバスを食ったのは十数年まえ琵琶湖でのキャンプのおりで、いくらでも捕れるこの大型魚を十匹ほどさばいてそこらの草を腹の中につめてアルミホイルですっかり包んで焚き火で焼いた。
 ふかふか湯気のあがっている美しい白身の肉にマヨネーズと醤油をかけて食うと肉食らしく身がシャキシャキしてとてもおいしく、以来これに病みつきになった。

 当ブログで、「外来種の強み」と題してブラックバスには(日本では)天敵がいないため増える一方だと書いたばかりだった。そのため絶滅の危機に瀕している魚たちがいるというので、深刻な事態になっている。

 でも、椎名さんの話を読むと、「なあんだ人間が天敵になればいいのかあ。おいしいのならどんどん食べればいいんだ」と思える。ところが、日本では一般的にはブラックバス(オオクチバス)を食べるという認識がない。ブラックバスは、そもそもが釣りを楽しむキャッチアンドリリース専門の魚であることと、「害魚」とか「駆除」という言葉で扱われてしまい「食えない魚」というイメージになってしまっているのではないかというのが椎名さんの見方だ。

 ところで、ナイルパーチという魚をご存知だろうか。これはアフリカのビクトリア湖で爆発的に増えた外来種の肉食魚で、そこにもともと居た350種類以上の生物を絶滅させたほどなのだけれど、今は食用として産業化し海外へ輸出されている。そう、日本でも輸入して外食産業などでフライや焼き魚に使われているんだそうだ。しかも、このナイルパーチとブラックバスは同じスズキ目の魚で、高級なタンパク源なんだという。だとしたら、おのずとブラックバスの使い道は開けてきそうだ。

 食料自給率が先進諸国の中でも最低の日本がこのおいしくて巨大な淡水魚を「駆逐」のために金をかけて業者に頼んで捕獲し、食べずに投棄してしまい、ビクトリア湖のナイルパーチを食料として輸入している、ということにぼくは何かいびつなものを感じた。

 食べられないという先入観さえ取り払ってしまえば、案外あっけなく皆食べ出すと思う。外国ではあまり食べないものでさえ、魚介類ならたいていは工夫して食べてみるというのが日本人ではないだろうか。おいしいのならなおさらだ。毒があるとわかっている河豚だって食べるんだから。
のり at 13:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠

2005年11月25日

サンマに失礼

 「さんま」を漢字変換してみると「秋刀魚」と出た。というか、これしか出なかった。高島俊男さんが「お言葉ですが…」【週刊文春 12月1日号】で、サンマについて面白いことを指摘している。

 個人(?)用の漢字一字名がない。いや日本近海の魚の漢字というのはたいていみな、もともと関係のない魚ヘンの字を持ってきてあてたり、それでもたりないのはこっちで勝手に作ったりしたものだからまあかなりエエカゲンだが、それでも鯵(あじ)も鰯(いわし)も一応は一字名を持っておる。
 サンマは、食われるのは盛大に食われながら、どうも、差別あつかいされとる、という気がいたしますな。

 魚ヘンの字は訳がわからないくらいたくさんある。サンマだって仲間にいれてあげても良かったはずなのに、何か事情があったのでありましょうか。というか、サンマは秋刀魚でいいんだろうか。

 高島さんによれば、わが国最初の近代的国語辞書『言海』(明治22年)では、さんまを【小隼、三馬】の二通りの漢字で表しているのだそうだ。『ことばの泉』(明治三十一年)では【三馬】となっていて、「秋刀魚」については「たちうをに似て秋とるるものとの意にて、明治以後に作りたる字」と説明がある。明治時代に作った字のようだ。どうせ作るのなら他の魚みたいに一字でもよかったはず。う〜ん、でも差別とは言えないかも。別格扱いだったのかもと良い方に考えようとしたけれど、さきほどの『言海』には「賤民ノ食トス」と書いてあるそうだから、良い意味での特別扱いってことはなさそうだ。

 落語の「目黒のさんま」は、サンマは身分の低い人々の食べ物であり、お殿様が口にすることはないという背景があるからこそ笑えるわけだけれど、いったい食べ物の価値って何だろう。「安いけど不味い」のなら身分の高い人が食べないというのもわかるけど、サンマは美味しい。かのお殿様だって生まれて初めてサンマを食べてご機嫌だったのだから。

「ああ、これは食して大事ないか?」 
「大事ございません。天下の美味でございます」
「さようか」
一箸つけてみると、こいつがうまい!
「おお、美味である。代わりを持て!」
代わりを持て、代わりを持てってんで、ひとりであらかた食べちまった。
「やあ、美味であった。そのほうどもには、頭と骨をつかわす」
  
『古典落語H武家・仇討ちばなし』(落語協会編/角川文庫)より
のり at 18:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 高島俊男

2005年11月22日

オーナーはいびり姑?

 アメリカのメジャーリーグにおけるGMというのは、ちょっと日本では想像しずらい存在で、私もよくわかってはいないのだけれど、その手腕がチームに与える影響はとても大きなものらしい。先週、李啓充さんが書いていたようにホワイトソックスでは、オーナーとGMがとてもうまくいっている。そして今週は、うまくいっていない2球団がリポートされている。(「大リーグファン養成コラム」【週刊文春 11月24日号】)

 まずニューヨーク・ヤンキースのキャッシュマンGMの場合。契約が切れる今季限りで退団するだろうと言われていた。オーナーのスタインブレナーに怒鳴られ続けたことと、指揮系統がニューヨークとタンパに二分され、タンパの取り巻き連中のやり方に腹に据えかねていたからだという。ところが、スタインブレナーはキャッシュマンを失うことが怖くなったらしく、契約更改にあたってGM史上最高額の180万ドルの年俸を提示し、さまざまな要望を約束した。

 女房をいたぶり続けたくせに、「逃げられたら困る」ことに気が付いて慌て始めた亭主ではないが、引き留めのための「ご機嫌取り」に躍起となったのである。

 一方、同じようなケースでありながら、まったく違う展開になってしまったのがボストン・レッドソックスだった。エプスタインGMの契約更改は失敗した。彼は86年間できなかったワールドシリーズ優勝をたった2年で成し遂げ、ファンから絶大な人気と信頼があった。しかし、CEO(最高経営責任者)、ラリー・ルキーノは彼を怒らせてしまったのだ。それが致命的だった。エプスタインが学生の頃から目をかけてGMにまで育てたという自負があったせいか、甘くみていたようだ。彼はたった3年で去ることとなってしまった。

 エプスタインを失い、ボストンのファンは悲しみに暮れているが、「若くて気立てのいい嫁が来たと喜んでいたのに、その嫁を、姑にいびり出されてしまった亭主のよう」といえば、その気持ちがおわかりいただけるだろうか。

 姑も「まさか出ていくとは…」っていう状態でしょう。嫁の気持ちを察することがなかったんですね。人の心を読めない、あるいは感じられない人が組織の頂点に立ってしまった典型的なケースということになるのだろうか。

 この2チームだけで比べると、ヤンキースのオーナー、スタインブレナーのほうが、僅かながら賢かったと思ってしまいそうだけれど、たぶん実際は紙一重だったんじゃないだろうか。暴力などに耐えかねて逃げた奥さんに、「二度としませんから」と土下座して謝って、やっと戻ってきてもらったのに同じ事を繰り返す人っているらしい。ヤンキースのオーナーがその手の人物でないとは言い切れない。

 ちなみに、キャッシュマンは、「家族と休暇を過ごしている最中に呼び戻さない」という念書をスタインブレナーに書かせたと噂されている。
のり at 17:55 | Comment(0) | TrackBack(1) | 李啓充

2005年11月21日

創作欲が生殺し

 辛酸なめ子さんは、東京ビッグサイトで開催された「もの作りBIG GALLERY」に行った。(「ヨコモレ通信」【週刊文春 11月24日号「見もの聞きもの」コーナー内】)

 素材の数だけアートがある。そんな法則を実感せずにはいられない「もの作りBIG GALLERY」。布、毛糸、ビーズ、押し花etc……マダムの創作欲爆発の祭典です。

 各ブースで開催されている体験教室のうち、まず純銀粘土のアクセサリー作り(500円)を体験したものの、すでに成形されている純銀粘土をブラシで磨くだけで欲求不満がたまり、次に和紙ちぎり絵(500円)もやってみたものの、これまた創作欲など無視されたらしい。

 赤、黄、緑の和紙を渡され、やっと好きなように創作できる……と思ったら、有無を言わさない感じで目の前に見本が差し出されました。「まず、和紙を丸くちぎってください。はい、これで風船ができました。次は風船のヒモを貼ってください」と、手取り足取り指導され、見本に近ければ近い程「ステキね〜」と絶賛され、創作欲は生殺し状態です。

 他の教室も似たりよったりだったようだ。でもまあ、それも仕方ないかなという気もする。辛酸さんのように自分で創作する能力がある人を対象とした教室ではないのだろうから、まずは見本通りってことから出発するのも1つの手だろう。「好きなようにデザインして良いですよ」と言われて、サッと何かがイメージできればいいのだけど、なかなかそういう人ばかりではないのだ。でも、「有無を言わさず」というのは確かに嫌な感じがする。「デザインのイメージが湧かない人は見本を真似してください」ということにしたら良かったかも。

 ところで、辛酸さんは最初「創作欲爆発の祭典です」と思って行ったけれど、実際は生活感あふれる品が多かったとかで、少し勝手が違ったようだ。

 手芸というのは、もっと優雅で貴族的な世界だと思っていました。しかし会場のマダムの会話に「もったいない」という単語が度々出て来ることから、彼女たちは純粋な創作欲というより、空いた時間が「もったいない」ケチ精神で手芸するのだということに気付きました。

 「もったいない」って良い言葉なんですけどね。

2005年11月19日

私はどっちに向かっていたか

 学者が研究に没頭し過ぎて実生活で信じられないようなことをしてしまった、というエピソードは昔からよくあるようで、お茶の水女子大の土屋賢二先生の「ツチヤの口車」【週刊文春 11月24日号】にもこんな話がある。

 アメリカでは、よく「上の空の教授」が登場して笑いものになっている。たとえば高名な教授ノーバート・ウィーナーが路上で友人に会い、数分間立ち話をした後、別れ際に「君に会ったとき、わたしはどっちに向かっていたか教えてくれないか」と聞いた。「マサチュセッツ通りに向かってたよ」と友人が答えると、教授は言った。「良かった! それなら昼食は食べたんだ。もう一度食べるところだった」

 もし私が同じセリフを吐いたなら、周りから何を言われるだろう。学者に限らず、スポーツ選手でも芸術家でも、飛び抜けた実績のある人物であるからこそ、こんな話も一つの伝説になるのだ。ニュートンが卵と間違えて懐中時計を茹でたとか、夕食をとるのをちょくちょく忘れたと言われているのも、研究に夢中になっていたからだ。それだけ1つのことに夢中になれるのは、人間として幸せなことなんだと思う。

 私は幼い頃からそそっかしく、うっかりミスをしては恥をかくことの連続だった。それでも歴史上の有名人が笑ってしまうような失敗をした逸話を知り、ほっとしていた。自分も立派な大人になれるかもしれないと心強く思ったのだ。なんと、彼らを自分と同じ仲間だと感じていたのだ(もちろんあとで現実を思い知らされるのだが…)。ところで、哲学者である土屋先生の場合はどうなんだろう。

 わたしは現実離れした人間ではない。物にぶつかったり転んだりしても、それは、「上の空の教授」のように研究に没頭しているからではなく、さっき食べたうどんが塩辛すぎたといった、地に着いた現実的なことに気を取られるためだ。

 ある意味、仲間かも。
のり at 10:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 土屋賢二

2005年11月17日

瀬川さんとプロ棋士たち

 瀬川晶司さんがプロ棋士になったときから、このエッセイを楽しみにしていた。先崎学八段の「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 11月24日号】。プロ棋士は今回の特例に関してどう思っているのだろう、という興味があった。ところが読み進めるうちに、自分が大きな勘違いをしていたことに気がついた。私はプロ対アマという構図だけで見ていたのだが、先崎さんはこう書いている。

 ある世代の将棋指しにとって瀬川さんは、青春、苦楽を共にした仲間である。麻雀を山ほどやり、部屋に転がり込んで、ある時は酒を飲み、あてどのない奨励会という立場をなぐさめ合った。私はすでに棋士で、先輩格だったが、よく遊んだものだった。だから我々にとって瀬川さんのプロ入りというのは、昔の仲間が帰ってくるという意味合いが大きい。

 にわか仕込みの知識で申し訳ないけれど、なんでも奨励会に所属して「26歳までに四段」にならないとプロの道が絶たれるらしい。その日を境に別々の道に進んだものの、それまでは一緒に切磋琢磨していた仲間だったわけだ。外部の人間が、「たのもぅ」と道場破りのごとくやって来た図を思い描いていたのは、まったくの見当違いだったのだ。

 ところで、先崎さんは瀬川さんを「もっとも幸せな棋士」かもしれないと言う。一見遠回りした瀬川さんだが、それによって好きな将棋を職業とすることがどんなに素晴らしいかが分ったと語っていたからだ。インタビューでも、今までの社会生活は(将棋のうえでも)決して無駄ではなかったと答えていた。「人生無駄なことはない」と言われているけれど、無駄にするもしないも本人次第だろう。やはり瀬川さんは物の見方が前向きで強い人なんだと思う。さて、プロ入りを決めた日、

 打上げの後、誰からともなく、胴上げをしようということになった。二回、三回と宙を舞う姿を見ているうちに、時代の旬に立ち合っているという高揚感が私を包んだ。

 「何事も無駄な経験はない」人生になるよう、私も頑張らねば…。
のり at 21:36 | Comment(3) | TrackBack(1) | 先崎学

2005年11月13日

あなただけに差し上げます

 11月9日のニュースに、【「皇室財産」騙り詐欺、男2人を逮捕】というのがあった。「皇室には莫大な隠し財産がある」などと架空の融資話をもちかけ、中小企業の経営者らから多額の現金をだまし取っていたという。こういう話は昔から幾度となく繰り返されていて、いつまでたっても絶えない。いわゆる「M資金」と呼ばれる秘密の資金話は、GHQ、皇室の隠し資金、華僑マネー、アラブマネー、ユダヤマネー、G7などを使ったものまであるらしい。

 振り込め詐欺などと違って、心の動揺につけこんだり脅迫じみたものではなく、ある程度考える時間があるにもかかわらず、何故か、いとも簡単に巨額を騙し取られている。確かに「皇室」「隠し財産」これらの言葉は人々に空想の世界を思い描かせるのに充分な響きを持っている。被害者は、その手の裏のお金が存在しても不思議ではないと思ったのだろう。巨額な融資がされることに比べたら自分が出す金額が小さく見えたのだろう。

 昔、自分は東京の銀座に土地を持っている資産家だが後継ぎが居ないと言って、ある地方の町中の人たちからお金を騙し取った高齢の女性がいた。お金を貸した人々は口止めされていたため、自分だけがお金を貸していて、いつか何倍かになって戻ってくると信じていたが、実は皆がおばあちゃん詐欺師にまんまとやられていたのだった。

 規模は小さいけれど、詐欺の一種だと思われる面白い記述が、土屋賢二先生の「ツチヤの口車」【週刊文春 11月17日号】の中にあった。

 昨年は、アメリカから手紙がきた。「あなたは、世界各国から選出された委員からなる選考委員会において、厳正なる審査の結果、非常に名誉ある<ザ・マン・オブ・ザ・イヤー>に選ばれました」と書いてある。わたしはいつの間にか国際的に尊敬される人物になっているのだ。周りの態度から判断すると自分が尊敬される人間とはとても思えないが、見る人は見ているものだ。さらに、先日はケンブリッジから、「世界の優秀な教育者」の一人に選ばれたという手紙が届いた。

 いただけるものならいただきましょうか、と思う人が多いかもしれないが…。

 どちらの手紙も、選ばれた証拠として、美麗プレートの認定書を二百ドルで作成する、認定書だけならもっと安いと書き添えてある。ありがたすぎる話だ。しかし、わたしはどちらの手紙も<迷惑>に分類した。

 手紙の送り主はガッカリでしょう。土屋先生が200ドルよりもその認定書をありがたく思い、他人に見せびらかしたいと思うような人物であったなら、詐欺師のおもうつぼ。「あなたは○○に選ばれました」「あなただけに教えるけど…」「表に出せない資金が…」という言葉に心が動いてしまう人は、詐欺師の餌食ですね。
のり at 16:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 土屋賢二

2005年11月12日

Wソックスの人情オーナー

 今朝テレビ番組に楽天イーグルス監督だった田尾さんが出演していた。野球解説者の金村さんを筆頭に他の出演者はもちろん、仙台の皆さんの多くも田尾監督の解任を残念に思っている様子だった。それは同時に、楽天のオーナーのやり方考え方に反発していることでもある、ということをオーナー自身理解しているのだろうか。願わくば野球が好きな人に球団を持ってもらいたい。自分の球団の監督やスタッフ、選手たちを愛せる人がオーナーになって欲しい。たとえばホワイトソックスのオーナーのように。

 などと偉そうに書いている私も、李啓充さんの「大リーグファン養成コラム」【週刊文春 11月17日号】を読むまで、今年ワールドシリーズで優勝したホワイトソックスのジェリー・ラインズドーフ(ラインズドルフ)というオーナーが義理堅く情の深い人だと知らなかった。

 ラインズドーフは、「反組合タカ派」オーナーの頭目として、94年のシーズンを中断させた張本人とされているが、敵役である組合関係者からも好かれるほど、人望が篤い。特に義理堅さと情の厚さでは定評があり、たとえば91年に17年来の部下が急死したときに、残された3歳の娘さんが将来母親のことを理解できるようにと、ライターを雇ってその伝記を書かせた逸話が知られている。

 オーナー歴25年で、一度だけドラフト指名選手への直接出馬をしたことがある。それは23年前のことで、3位指名の選手が大学でフットボールをしたいと拒否したためだ。その選手の自宅で黒人の父親と話し合う。ユダヤ人の貧しい家庭に育ったラインズドーフは差別されることを味わっているがゆえに、その父親と意気投合し、大学進学後の面倒をみることなどを条件として契約にこぎつけた。とそれとは別に、「お子さんの将来はまかせて欲しい」と個人的に父親に約束した。信じられないことに、このことが今年のワールドシリーズ優勝へと繋がってくる。

 この選手が大活躍したのならストレートに良い話になるのだが、彼はたいした成績を残せず、6年で引退してしまった。ところがラインズドーフは父親との「個人的な」約束を守って、91年にフロント入りさせている。他部門で経験を積ませ、00年にGMに抜擢した。

 このとき抜擢されたのが現GMケニー・ウィリアムズだが、ウィリアムズは、チーム一の強打者と引き替えに俊足の一番打者を獲得するなど、長打重視の「マネーボール」全盛の時勢に逆らって、小技重視の「スモールボール」を追求した。大胆な戦略が実り、就任わずか5年で88年ぶりのワールドシリーズ優勝を達成したのだから、ウイリアムズを抜擢したラインズドーフの慧眼と 義理堅さは光る。

 父親と約束したのが23年前。それを守ったことが今こんな形となって現れるなんて…。選手から「これはあなたが持つのが一番」とワールドシリーズでのウィニングボールを手渡され、感涙にむせんだというラインズドーフ。選手や球団関係者から好かれているということは、オーナーがふだんから皆に温かい対応をしているからだろうと想像できる。

 まだ形の出来ていない新球団の監督を自らお願いしておいて、結果が出ないからとたった1シーズンで解任してしまうオーナーが、ふだん球団関係者や選手に温かい視線を向けているとはとても思えない。彼が選手からウインニングボールを手渡されることはないだろう。
のり at 14:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李啓充

2005年11月10日

ダイエットは楽じゃない

 先週から気になっていたので、室井滋さんの「すっぴん魂」【週刊文春 11月17日号】を真っ先に読む。いつも通りのダイエットをしても、前夜(夕食後)と翌朝(トイレ済み)の体重を比較したらピッタシ同じだったという話の続きを読みたかった。食事量を減らして夕飯の時間を早くすると、翌朝にはだいたい500gは減り、四日間で2sは減るはずだったのに、まったく減らなくなったという。トイレを済ませたぶんを考えるとむしろ太ったことになると、室井さんは焦っていたのだ。理由が知りたい。

 さて、体重が減らなかった(太った)理由がわかったのかと読んでみると、室井さんはご自分の超薄着(眠る時もタオルケット2枚だけ)が原因ではないかと推測している。

 これはあくまでも私の素人的推測だが、夜中にいよいよ体が冷えてきた時に、私の体は私自身を守るため、脂肪を作ろう、蓄えようと頑張ってしまったのではなかろうか。眠っている間に多少は行なわれる発汗作用がなされなくなり、夏期はひと晩に就寝中1s減だったこの体が、俄然守りに入ってしまったのかも。

 試しにゆっくり風呂につかって、厚手の毛布でホカホカ眠ったら、翌朝は700g減っていたそうだ。う〜ん、でも「ゆっくり風呂につかって」というのがポイントではないのかなあ、なんて私は思う。健康な人にとっては何でもない入浴だけど、実際は湯船につかっているだけでもとても体力を消耗する。寝る前にすでにかなりのエネルギーを費やしたってことではないのだろうか。

 ともあれ、もう2時間サスペンスものの撮影が始まってしまった室井さん、早くあと2s落としたいということで、メイクさんのアドアイスを受けて寒天ダイエットを決行する。みんなで食前にトコロ天を食べて食事の量を減らす作戦だ。ところがロケ中の昼食のためお蕎麦屋さんに皆で行ったとき問題がおきた。持ち込みが出来ないのだ。仕方なく交代で店先の歩道に出てトコロ天を飲み込んだそうだ。

 行列の人々は皆、不思議そうに私らを見た。誰かに質問されるような事があれば、”これは女優魂なので”とすかさず答える心づもりはちゃんとできていたが……。
あまりの怪しさゆえか、声までかけてくれる人はさすがにゼロなのでありました。
 ああ、ダイエットするのも楽じゃない。でも頑張るぞ!

 と、終っている。これまたトコロ天ダイエットの結果が来週読めるのかと思ったけれど、今回は【この項つづく】となっていない。この話題はここまでなのかな?室井さん、トコロ天が効いたかどうか、いつか書いてくださいネ。
のり at 17:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 室井滋