整形がバレるのではないか、あるいは、整形に失敗したと思われるのではないか、という周囲の視線に対する恐怖が本人の心の重荷となり、その重荷が態度や表情に滲み出ると、今度は周囲がそれに反応してヒソヒソと囁き交わしたり腫れ物に触るような扱いをするようになって、ますます本人は自意識の袋小路に追い詰められてしまうのだ。そうすると、放っておけば以前の顔なんか忘れてくれる人々も、なかなか忘れてくれなくなる。
そもそも人の視線が気になるから手術をするのだろうに、それを公言する勇気がないと、また別の意味で周囲の視線を気にしなくてはならないとはなんたることだろう。美人でも美男でも表情が悪くては何にもならない。だからといって、口に出すのはなかなか出来そうで出来ないだろう。本当にコンプレックスから解放されて心から晴れやかになるのであれば、手術をするというのも1つの手段かもしれない。ただ、術後の心のあり方をちゃんと考えておかないと、かえって惨めな気持ちになる。つまり、手術がすべてを解決すると過信しないほうが良いということだと思う。
ちょっと話は逸れるけど、中高年の女性に圧倒的な人気を誇っている綾小路きみまろさんが、お客さんに向って「よくいらっしゃいました。そのようなお顔で…」などと言っても、皆さん大笑いする。自分のことだと思っているのか、いないのか、ともかく大ウケだ。「若くないから平気なんだろう」と思われるかもしれないが、女心はそんなものではない。ああいった状況でなければ傷つく言葉だ。ただ、年数を経て自分というものを受け入れているというのはあるかもしれない。
「最近はなんでもかんでも”可愛い”と言う」と、眉をひそめる向きもあるけれど、私は世間の”かわいい”の範囲が広いほど生きやすいように思う。確かにボキャブラリー不足だとは思うけれど、いろんな人や動物、あるいは物までも肯定的に見るという意味では、”可愛い”で良いと思う。強面のおじさんがちょっと照れくさい顔をしただけでも「可愛い」、しわくちゃ顔のおばあちゃんも笑うと「可愛い」と言われる。顔がぺしゃんこな犬だって「可愛い〜!」とナデナデされる。三枚目のタレントさんたちも売れてくるとそれなりに良い顔に見えてくる。目鼻立ちだけではなく、表情やしぐさを認める傾向は、周りの存在を幅広く受け入れる優しさかもしれない。
それなのに、たいてい誰もが、特に若い時ほど自分の容姿には手厳しい。あとはいかに自分自身を受け入れられるかにかかっている。受け入れてしまえばラクになるのに…。
