ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の第37回
【読売新聞 2006年9月30日朝刊(毎週土曜日連載)】
キーンさんは大学時代、左翼系の同級生が主張する議論、すなわちブルジュア民主主義への非難を耳にしたが、自分の性分には合わなかった。
だから、一九三九年末からソ連がフィンランドに侵攻した時、これら左翼系の同級生が戸惑う姿を目撃して嬉しかった。彼らがいつも主張していたのは、資本主義国家だけが侵略行為を行ってきたということで、ソ連がこうした罪を犯すことはあり得ないと彼らは考えていた。
当時のキーンさんは彼らの主張が崩れたことを喜んだが、その戦争が新たな別の戦争を引き起こすことを考えると、喜ぶべきではなかったと、今は思っている。
ソ連訪問で初めて共産主義を体験したキーンさんは、ソ連国民の考え方が、想像していたのと全く違うことに気づいた。共産主義を熱狂的に信じているものと思っていたが、実際会ってみるとそうではなかった。また、彼らと会話をしていくうちに、自分の生活がいかに守られているかを感じざるをえなかった。
東京のあるホテルの小さい部屋のことを、キーンさんは「まるで独房のようです」と表現したが、
私と話していた学者は、ただこう答えたのだった。「いいえ、独房はそんなものじゃないわ」と。彼女は、なにも詳しく述べたわけではなかった。しかし私が彼女の言葉の裏に感じたのは、彼女が監獄で数か月ないしは数年にわたって暮らしたことがあるかもしれないということだった。
苛酷な体験を暗示している彼女の言葉に、キーンさんはたぶん返す言葉がなかっただろう。共産主義と資本主義を比べる議論よりも、実際の体制を経験した人の一言の方が、多くのことを物語ることがあると思う。
ソ連の学者は自由に外国へ行けなかったので、キーンさんは自分が訪れることで、少しでも外の世界との繋がり感じてもらいたいと3度訪れた。そんななか、キーンさんの『日本人の西洋発見』という本が、ロシア語訳で7500部刊行され、売り出したその日に完売してしまった。
彼らには世界を知りたいという相当に強い欲求があったのだろう。自国の体制が一番だと教え込まれても、人は本当のことを知りたいものなのだと思う。
1941年にメトロポリタン劇場で上演されたベートーベンのオペラ「フィデリオ」を引き合いに、キーンさんは当時のヨーロッパ人を、<あたかも巨大な牢獄に閉じ込められたかのよう>と表現している。
ベートーベンの音楽が希望をもたらし、牢獄の門が開いて憔悴し青ざめた囚人たちが姿を現した時、聴衆はその音楽の中にヨーロッパが再び自由になる予感のようなものを感じて、涙に身を任せたのだった。割れるような拍手の中で私たちは泣いていて、後にも先にも聴衆がこんなに泣くのを見るのは初めてのことだった。
残念ながら私にはこの涙がよくわかりません。ヨーロッパの人々が自由になることを連想したとして、なぜそれほど泣くのかが分からない。もし今、北朝鮮の人々が自由になるという舞台を見ても、私にはそういう気持ちは湧かないと思う。多くのアメリカ人にとって、ヨーロッパとは、どんな存在なのだろう。
【第38回へ続く】
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☆ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。

