今年もなんとかブログを続けることができましたのも、今読んでくださっている皆さまのおかげです。本当にありがとうございました。
2006年最後の更新は縁起の良い常識(?)クイズにしたいと思います。
【問題】七福神の名前を全部漢字で書けますか?
答えは新年にご紹介します。
では、良いお年を〜!
2006年12月28日
2006年12月23日
60年前のハガキ
【第48回の続き】
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の番外編
〜連載を終えて 【読売新聞 2006年12月23日】
ドナルド・キーンさんは、「私と20世紀のクロニクル」を書き終えて、小さな虚脱感に襲われた。また後悔の念にも駆られた。キーンさんの人生にとって重要な多くの人々のことに言及しきれなかったからだ。
確かにそうだと思いました。人生にはいくつもの側面があって、同じ人物の自叙伝でも何通りにも書けるはず。たった48回の連載の中に、あらゆる面を盛り込むのは無理ですし、もし詰め込んでしまったら、ポイントがぼやけてしまったことでしょう。
生活様式であれ、交通手段であれ、世界は劇的に変わってきている。それでも、人としての大切なものは同じではないかと、キーンさんは思っている。たとえば「源氏物語」にみる光源氏の感情は、今の私たちと同じであるからだ。
この連載を読んだ人たちから記憶力の良さを褒められるキーンさんだが、ご自身は、「よくも忘れてしまったものだ」と思っているとか。しかし全て覚えていたら、嫌なこともたくさん思い出しただろうから、思い出そうとしないほうが良いのだ、と結論づけている。
今回は、貴重な写真が載っているのが嬉しかったです。近年のキーン博士の姿だけではなく、父親と乗船しようとしている9歳のキーン少年、沖縄で捕虜に質問している将校時代、ハーバード大在学中の若くハンサムな25歳のキーン青年。そしてコロンビア大学の角田柳作先生(山口晃さんの挿絵より写真の方が格好良い!)。
中でも、私が一番食い入るように見たのは、キャプションに「第2次世界大戦末期に中国・青島で知り合った日本人にあてたキーン氏のはがき」とある6枚のハガキの写真です。1946年とか1947年の消印で、ニューヨークから東京に宛てたものですが、何に驚いたといって、その日本語の文字です。なんと書き慣れた大人びた字なのだろう、と。特にはっきり読める宛先の部分には舌を巻きました。日本語と出会ってからたった5〜6年しか経っていないのに、キーン青年の字は、まるで日本語(あるいは漢字)を何十年も書いている人のような字です。端整だけど柔らかく、バランスが取れている。日本人青年で、これだけの文字を書ける人は少ないことでしょう。
言うまでもなく、語学の才能と文字を上手に書く才能とは別物です。またどんなに書く才能があっても、実際に書いて書いて書かなければ上手くなりません。キーンさんは一体どれほどの努力をしたのでしょう。信じられません。ハガキの文面にビッシリと書かれた細かい文字を見ても、スラスラと書かれていることがわかります。キーンさんが日本語を読めないと思っている人たちにこのハガキを見せたいですね。学問的な功績などの説明は難しくて分らなくても、キーンさんの実力は、60年も昔のハガキが全て物語っているのです。一目瞭然とはこういうことを言うのですね。
【「私と20世紀のクロニクル」書籍化へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の番外編
〜連載を終えて 【読売新聞 2006年12月23日】
ドナルド・キーンさんは、「私と20世紀のクロニクル」を書き終えて、小さな虚脱感に襲われた。また後悔の念にも駆られた。キーンさんの人生にとって重要な多くの人々のことに言及しきれなかったからだ。
私に答えられるのは次のことだけで、いざ「クロニクル」を書き始めてみたら、自分が書こうとしているのは、次から次へと「鎖」のように繋がっている一連の体験だということに気づいたのだった。いくら親しくても、別の「鎖」にいる友人は登場しようがなかった。これとまったく違った顔ぶれで自叙伝を書くことも、私には難なく出来たはずである。
確かにそうだと思いました。人生にはいくつもの側面があって、同じ人物の自叙伝でも何通りにも書けるはず。たった48回の連載の中に、あらゆる面を盛り込むのは無理ですし、もし詰め込んでしまったら、ポイントがぼやけてしまったことでしょう。
生活様式であれ、交通手段であれ、世界は劇的に変わってきている。それでも、人としての大切なものは同じではないかと、キーンさんは思っている。たとえば「源氏物語」にみる光源氏の感情は、今の私たちと同じであるからだ。
この連載を読んだ人たちから記憶力の良さを褒められるキーンさんだが、ご自身は、「よくも忘れてしまったものだ」と思っているとか。しかし全て覚えていたら、嫌なこともたくさん思い出しただろうから、思い出そうとしないほうが良いのだ、と結論づけている。
この「クロニクル」が抱えている数々の欠陥にもかかわらず、一人の人間が本質的にいかに幸せな人生を過ごしてきたかということさえわかっていただければ、私は本望である。
今回は、貴重な写真が載っているのが嬉しかったです。近年のキーン博士の姿だけではなく、父親と乗船しようとしている9歳のキーン少年、沖縄で捕虜に質問している将校時代、ハーバード大在学中の若くハンサムな25歳のキーン青年。そしてコロンビア大学の角田柳作先生(山口晃さんの挿絵より写真の方が格好良い!)。
中でも、私が一番食い入るように見たのは、キャプションに「第2次世界大戦末期に中国・青島で知り合った日本人にあてたキーン氏のはがき」とある6枚のハガキの写真です。1946年とか1947年の消印で、ニューヨークから東京に宛てたものですが、何に驚いたといって、その日本語の文字です。なんと書き慣れた大人びた字なのだろう、と。特にはっきり読める宛先の部分には舌を巻きました。日本語と出会ってからたった5〜6年しか経っていないのに、キーン青年の字は、まるで日本語(あるいは漢字)を何十年も書いている人のような字です。端整だけど柔らかく、バランスが取れている。日本人青年で、これだけの文字を書ける人は少ないことでしょう。
言うまでもなく、語学の才能と文字を上手に書く才能とは別物です。またどんなに書く才能があっても、実際に書いて書いて書かなければ上手くなりません。キーンさんは一体どれほどの努力をしたのでしょう。信じられません。ハガキの文面にビッシリと書かれた細かい文字を見ても、スラスラと書かれていることがわかります。キーンさんが日本語を読めないと思っている人たちにこのハガキを見せたいですね。学問的な功績などの説明は難しくて分らなくても、キーンさんの実力は、60年も昔のハガキが全て物語っているのです。一目瞭然とはこういうことを言うのですね。
【「私と20世紀のクロニクル」書籍化へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
2006年12月21日
うちの台所は綺麗です
電話セールスというのでしょうか、あれって煩わしいです。こちらの都合も構わず、突然電話してきて、まくし立てます。化粧品や掃除サービス、ソーラーシステムを試せだの、霊園の宣伝も。あげくのはては投資でマンションを買えという見当違いなものまで。我が家のどこにあるんだ、そんなお金!
「うちにはお金がありませんから」と正直に断わって相手が引き下がるのはまれで、あとは、なんだかんだと言ってきます。なので、ここは嘘も方便で乗り切っています。
掃除を断るのは簡単です。
電は電話セールスの相手。( )内は私の気持ちです。
電「今ならガスレンジの掃除をたった○○○円でお試しいただけますし…」
私「うちの台所はいっつも綺麗になっているんですよ。ええ、換気扇もマメに掃除してますから」
(うちまで見に来るわけないもんね)
またこんなこともありました。
電「顔のシミや皺などがすぐに取れる画期的な化粧品が出来ましたので、お試しいただき…」
(そんなものあったら、本当に画期的だ)
私「でも、興味ありませんから」
電「まだお若いようですね」
私「えっ! ええ、ええ<冷や汗>」
(勘違いしたらしいゾ)
電「お若いと、まだ必要ないですか〜」
私「ええ、まだちょっと…。失礼しま〜す」
(うちまで見に来るわけないもんね)
でもいつもこんなに上手くいくわけではありません。何度か不愉快なこともありました。そもそも一方的に電話してきて他人の時間を無駄に使わせ、自分の言いたいことを言うのって、失礼なセールス手段だと思います。しかも偉そうな口調だったり、押し付けがましい人もいて、すごく腹立たしい思いもしました。絶対に勧誘に乗らないゾ、とますます意を強くしたものです。
訪問セールスも困ります。室井滋さんの「すっぴん魂」【週刊文春 2006年月12日28号】にも、訪問セールスの対処で面白い話がありました。
さすがに「字が読めない」は、通用しませんでしたね。
「うちにはお金がありませんから」と正直に断わって相手が引き下がるのはまれで、あとは、なんだかんだと言ってきます。なので、ここは嘘も方便で乗り切っています。
掃除を断るのは簡単です。
電は電話セールスの相手。( )内は私の気持ちです。
電「今ならガスレンジの掃除をたった○○○円でお試しいただけますし…」
私「うちの台所はいっつも綺麗になっているんですよ。ええ、換気扇もマメに掃除してますから」
(うちまで見に来るわけないもんね)
またこんなこともありました。
電「顔のシミや皺などがすぐに取れる画期的な化粧品が出来ましたので、お試しいただき…」
(そんなものあったら、本当に画期的だ)
私「でも、興味ありませんから」
電「まだお若いようですね」
私「えっ! ええ、ええ<冷や汗>」
(勘違いしたらしいゾ)
電「お若いと、まだ必要ないですか〜」
私「ええ、まだちょっと…。失礼しま〜す」
(うちまで見に来るわけないもんね)
でもいつもこんなに上手くいくわけではありません。何度か不愉快なこともありました。そもそも一方的に電話してきて他人の時間を無駄に使わせ、自分の言いたいことを言うのって、失礼なセールス手段だと思います。しかも偉そうな口調だったり、押し付けがましい人もいて、すごく腹立たしい思いもしました。絶対に勧誘に乗らないゾ、とますます意を強くしたものです。
訪問セールスも困ります。室井滋さんの「すっぴん魂」【週刊文春 2006年月12日28号】にも、訪問セールスの対処で面白い話がありました。
私が、”宗教の勧誘にはキッパリ、「うちは代々、浄土真宗。自分が十代目で墓守りだから、他のは無理」と断ると、皆、サッと引く”とその対策を披露すれば、友人がまた、”新聞勧誘のおじさんに「字が読めないので」と老眼が始まった事を苦しげに言ったつもりが、「外国人!?」と勘違いされた”などという経験談を聞かせてくれたのだ。
さすがに「字が読めない」は、通用しませんでしたね。
2006年12月16日
「私と20世紀のクロニクル」最終回
【第47回の続き】
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」
の第48回(最終回)
【読売新聞 2006年12月16日朝刊(毎週土曜日連載)】
とうとう「私と20世紀のクロニクル」の最終回がきてしまいました。
言い古された表現ですが、キーンさんは見えない糸で引き寄せられるように日本という国と出会いました。でも、戦後多くの日本語将校たちが日本語を捨てる中、よくぞ見捨てなかったと思わざるを得ません。日本的に言うならば、キーンさんと日本は縁があった、ということなのでしょうか。
………。申し訳ないです。ほんと。
キーンさんは、いままでの自分の人生の転機に、もし時代の流れが違っていたら、どうなっていたかを考えることがあるが、結論は「私は信じられないほど幸運だったのだ」というものだった。キーンさんは最終回をこう締め括った。
私は、連載を通してキーンさんの人間性をこう感じてきました。キーンさんは平和主義者であり、人を人種や国籍や社会的地位などの偏見無く見ることのできる人だと。そして、くすぐるようなユーモア感覚の持ち主である、といったことでしょうか。ユーモアの部分は、このブログではなかなか伝えられなかったと思いますが、一部だけ引用しても面白さが半減してしまうので、あまり書けませんでした。
また、他にも私の力不足からその内容の重要性を充分に伝えきれないことがたくさんありました。特に文学、昔の知識人たち、歴史、地理、古典芸能などについての教養が欠けているため、途中で、「大変なことを始めちゃったなあ」と後悔したことも何度かありました。ですが、一般紙に連載する時点で、私程度の人間が読むことは想定していたと思いますし、大衆向けに書くことを心掛けているキーンさんのことですから、それなりの解釈しかできなくても許していただけるかと思い直し、あとは開き直って書き続けてしまいした。
それとともに、やむなく割愛した部分もたくさんあります。そういうわけですので、読売新聞を読む機会の無かった皆さまは、このブログに頼らず、いずれ出版されるでありましょう単行本か、図書館に保管されている新聞を読んで、もっと深く楽しんでいただけたらと思います。
今日これを書き終えると、もう「私と20世紀のクロニクル」とはお別れだと思ったら、書くのを先延ばしにしたい気持ちになりました。でも、キーンさんの文から前向きなメッセージを受け取り、キーンさんのご活躍がまだまだ続くことを確信しました。連載が終わることは寂しいですが、この1年間、楽しませていただきましたし、これからも本などでお会いできることでしょう。また来週は、キーンさんの寄稿が掲載されるそうなので、できたらご紹介したいと思っています。
最後に、キーンさんへ。
キーンさんは日本と出会ったことを幸運だったと思ってくださっているようですが、日本こそ、自らの文化に自信を無くしていたあの時代に、キーンさんを始めとする親日家たちと出会えて、なんと運が良かったことでしょう。
日本人と偏見なく接し、理解し、日本語と日本文化の美しさを世界に、(そして日本人に)紹介してくださったことに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。また、なによりも日本と日本人を温かい目で見続けてくださったことを嬉しく思います。
これからも、健康で楽しく研究を続けていただきたいと心より願っております。
本当にありがとうございました。
【番外編(連載を終えて)へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」
の第48回(最終回)
【読売新聞 2006年12月16日朝刊(毎週土曜日連載)】
とうとう「私と20世紀のクロニクル」の最終回がきてしまいました。
自分の人生を振り返ってみると、私の人生を左右してきたのは明らかに幸運であって、長い熟考の末の決断ではなかった。大学の教室で中国人の隣に座った偶然が彼の国に対する関心を目覚めさせ、その関心は後年になって東アジア全体に広がり、さらに年ごとに大きく成長を重ねて今や私の人生の一番大事な部分を占めている。太平洋戦争が勃発したのは、まさに日本語の勉強をやり始めた時で、これが私の一生を決定したのだった。
言い古された表現ですが、キーンさんは見えない糸で引き寄せられるように日本という国と出会いました。でも、戦後多くの日本語将校たちが日本語を捨てる中、よくぞ見捨てなかったと思わざるを得ません。日本的に言うならば、キーンさんと日本は縁があった、ということなのでしょうか。
日本での生活に一つ不満があるとしたら、それは私の本を読んだことのある人を含めて多くの日本人が、私が日本語を読めるはずがないと思っていることである。日本語で講演した後に誰かに紹介されることがあるが、中には英語の名刺を持っていないことを詫び、あるいは名前に読みやすいように仮名が振っていないことを謝る人がある。東大のある教授などは、私が書いた「日本文学の歴史」を話題にして、「あなたが文学史で取り上げた作品は、翻訳で読んだのでしょうね」と言ったものだ。
………。申し訳ないです。ほんと。
キーンさんは、いままでの自分の人生の転機に、もし時代の流れが違っていたら、どうなっていたかを考えることがあるが、結論は「私は信じられないほど幸運だったのだ」というものだった。キーンさんは最終回をこう締め括った。
現在、私の身体を満たしていのは感謝の気持ちで、それは世界の様々な土地にいる私の友人たち、とりわけ日本に対する感謝の気持ちである。
私は、連載を通してキーンさんの人間性をこう感じてきました。キーンさんは平和主義者であり、人を人種や国籍や社会的地位などの偏見無く見ることのできる人だと。そして、くすぐるようなユーモア感覚の持ち主である、といったことでしょうか。ユーモアの部分は、このブログではなかなか伝えられなかったと思いますが、一部だけ引用しても面白さが半減してしまうので、あまり書けませんでした。
また、他にも私の力不足からその内容の重要性を充分に伝えきれないことがたくさんありました。特に文学、昔の知識人たち、歴史、地理、古典芸能などについての教養が欠けているため、途中で、「大変なことを始めちゃったなあ」と後悔したことも何度かありました。ですが、一般紙に連載する時点で、私程度の人間が読むことは想定していたと思いますし、大衆向けに書くことを心掛けているキーンさんのことですから、それなりの解釈しかできなくても許していただけるかと思い直し、あとは開き直って書き続けてしまいした。
それとともに、やむなく割愛した部分もたくさんあります。そういうわけですので、読売新聞を読む機会の無かった皆さまは、このブログに頼らず、いずれ出版されるでありましょう単行本か、図書館に保管されている新聞を読んで、もっと深く楽しんでいただけたらと思います。
今日これを書き終えると、もう「私と20世紀のクロニクル」とはお別れだと思ったら、書くのを先延ばしにしたい気持ちになりました。でも、キーンさんの文から前向きなメッセージを受け取り、キーンさんのご活躍がまだまだ続くことを確信しました。連載が終わることは寂しいですが、この1年間、楽しませていただきましたし、これからも本などでお会いできることでしょう。また来週は、キーンさんの寄稿が掲載されるそうなので、できたらご紹介したいと思っています。
最後に、キーンさんへ。
キーンさんは日本と出会ったことを幸運だったと思ってくださっているようですが、日本こそ、自らの文化に自信を無くしていたあの時代に、キーンさんを始めとする親日家たちと出会えて、なんと運が良かったことでしょう。
日本人と偏見なく接し、理解し、日本語と日本文化の美しさを世界に、(そして日本人に)紹介してくださったことに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。また、なによりも日本と日本人を温かい目で見続けてくださったことを嬉しく思います。
これからも、健康で楽しく研究を続けていただきたいと心より願っております。
本当にありがとうございました。
【番外編(連載を終えて)へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
2006年12月12日
カタログ通りにはいかない
自動車ライター・渡辺敏史さんの「カーなべ」【週刊文春 2006年12月14日号】で、ADSLとクルマの燃費について書かれていました。この2つの共通点は、どちらも素人から見ると「話が違うぞ」と言いたくなることです。
渡辺さんはADSLの24メガ繋ぎ放題というパックに加入したものの、いざ接続してみたら2メガ強くらいの速度でしか繋がらないことに怒っています。基地局から離れているので遅くなってしまったのですね。でも、
利用者側がチェックするのではなく、電話会社が調べて、お宅ではこれこれの速度しか出ません、と前もって教えてくれて、それに合った契約を結ぶべきではないのかなあ、と私も思いました。なんか騙された感じがしますよね。
次に渡辺さんは、自動車の専門家としての立場から、素人にはわかりにくいクルマの燃費について説明しています。カタログ上の燃費の数値が実際とは違うことはよく知られていて、私など「現実的な数値でなかったら意味ないじゃん」と思っていました。
ただ燃費はネットの理論値と違って、公的な試験場で車を走らせ計測し確認された数値が記載されるので、それなりの数字なのだとか。
実測値とはいえ、私たちが生活の中で運転するのとは環境も運転者の技術もまったく違うようです。カタログには「10・15モード燃費」とあって、10モードは市街地に近く、15モードは郊外の条件の良い道路を想定した走行パターン。つまり「10・15モード燃費」というのは、都市〜郊外を想定した走行パターンでの燃費を計測し、その平均値を示したものだそうです。
他にもカタログの数値が現実離れしているものって、ありますよね。素人にも実感できるものにして欲しいです。
渡辺さんはADSLの24メガ繋ぎ放題というパックに加入したものの、いざ接続してみたら2メガ強くらいの速度でしか繋がらないことに怒っています。基地局から離れているので遅くなってしまったのですね。でも、
素人にしてみればそんなこたぁ知ったこっちゃない。仕様だの理論値だの、ご託はええから約束の24メガちゃっちゃと出さんかいと、僕は電話会社に幾度か文句を垂れたことがある。
利用者側がチェックするのではなく、電話会社が調べて、お宅ではこれこれの速度しか出ません、と前もって教えてくれて、それに合った契約を結ぶべきではないのかなあ、と私も思いました。なんか騙された感じがしますよね。
次に渡辺さんは、自動車の専門家としての立場から、素人にはわかりにくいクルマの燃費について説明しています。カタログ上の燃費の数値が実際とは違うことはよく知られていて、私など「現実的な数値でなかったら意味ないじゃん」と思っていました。
ただ燃費はネットの理論値と違って、公的な試験場で車を走らせ計測し確認された数値が記載されるので、それなりの数字なのだとか。
各自動車メーカーには大抵、ガソリン1滴を踏み分けるほどの神業的なアクセルワークを持つテストドライバーがいる。新型車を開発するエンジニアは、目標燃費にどうしても0.3km/L届かないなんて時に彼らの職人芸にすがりつてい計測を迎え、上司のお叱りをなんとか免れるということも多々あったという。
実測値とはいえ、私たちが生活の中で運転するのとは環境も運転者の技術もまったく違うようです。カタログには「10・15モード燃費」とあって、10モードは市街地に近く、15モードは郊外の条件の良い道路を想定した走行パターン。つまり「10・15モード燃費」というのは、都市〜郊外を想定した走行パターンでの燃費を計測し、その平均値を示したものだそうです。
そんな10・15モードという基準が現在の交通環境とかけ離れていることは常々指摘されていて、より実情に即した計測方式への変更が検討されている。早ければ2010年頃には、もう少し白々しくない燃費の数字がカタログに収まることになりそうだ。
他にもカタログの数値が現実離れしているものって、ありますよね。素人にも実感できるものにして欲しいです。
2006年12月09日
渡辺崋山のリアリズム
【第46回の続き】
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の第47回
【読売新聞 2006年12月9日朝刊(毎週土曜日連載)】
渡辺崋山は、絵画にリアリズムを求めたため、彼の描いた儒教学者佐藤一斎の肖像画はそれまでの日本画とは異なったものとなった。
崋山は絵画だけでなく西洋の良い所は学ぶべきだと主張し、蘭学を排除して外の世界のことを知らない儒学者たちを、「井の中の蛙」に譬えた。西洋のことを知らなければ、いつか西洋からの侵略に脅かされる危険があると考えたのだ。しかし、これが日本批判と受け取られ、逮捕された。一人の儒学者の嘆願によって処刑はまぬがれたものの、その後自決している。
すごいな、と思うのが、江戸時代、蘭学など西洋のことを学ぼうとする人たちが、”日本のため”と思って、必死で学んでいる点です。時には命にもかかわるほどの迫害を受けるのに、日本を守るためにはそれが必要だという信念を持って勉学に励む姿は、今では考えられないのではないでしょうか。
今回のエッセイを読んでいて、何が嬉しかったかといって、84歳のキーンさんが今後の仕事に意欲を燃やして、しかもそれを楽しみにしていることでした。
子供の頃、父親から人間は55歳以上になったら役に立たないと言われたことを、真実だと思っていたキーンさんだったが、ある2人の人生を知ることによって考えが変わった。七十代の角田先生の学問に対する愛情と学生にそれを譲ることを喜ぶ姿。(映画の中の)七十代後半の指揮者アルトゥール・トスカニーニの音楽に対する情熱を交響楽団に伝えようとする姿。
何歳になっても何かに打ち込んでいたいと、私も強く思いました。キーンさんが角田先生とトスカニーニの影響を受けたのと同じ心境で、今私たちはキーンさんを見つめています。
【第48回へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の第47回
【読売新聞 2006年12月9日朝刊(毎週土曜日連載)】
渡辺崋山は、絵画にリアリズムを求めたため、彼の描いた儒教学者佐藤一斎の肖像画はそれまでの日本画とは異なったものとなった。
崋山が関心を持ったのは一斎という人間そのもので、その生気みなぎる顔は日本画では前例がない。崋山の肖像画に描かれた一斎は、ただの学識ある儒学者ではなかった。それは、まぎれもない一個の人間だった。
崋山は絵画だけでなく西洋の良い所は学ぶべきだと主張し、蘭学を排除して外の世界のことを知らない儒学者たちを、「井の中の蛙」に譬えた。西洋のことを知らなければ、いつか西洋からの侵略に脅かされる危険があると考えたのだ。しかし、これが日本批判と受け取られ、逮捕された。一人の儒学者の嘆願によって処刑はまぬがれたものの、その後自決している。
すごいな、と思うのが、江戸時代、蘭学など西洋のことを学ぼうとする人たちが、”日本のため”と思って、必死で学んでいる点です。時には命にもかかわるほどの迫害を受けるのに、日本を守るためにはそれが必要だという信念を持って勉学に励む姿は、今では考えられないのではないでしょうか。
今回のエッセイを読んでいて、何が嬉しかったかといって、84歳のキーンさんが今後の仕事に意欲を燃やして、しかもそれを楽しみにしていることでした。
すでに私は新しい本の仕事に取り掛かっていて、何とかそれを完成させるとしたら少なくとも五年はかかりそうである。この本を書くのは、さぞかし楽しいことだろうと思う。椰子の木陰に座って海を眺めながら、片手にラムの一杯がある――なんてことを、私はこれっぽっちもしたいとは思わない。
子供の頃、父親から人間は55歳以上になったら役に立たないと言われたことを、真実だと思っていたキーンさんだったが、ある2人の人生を知ることによって考えが変わった。七十代の角田先生の学問に対する愛情と学生にそれを譲ることを喜ぶ姿。(映画の中の)七十代後半の指揮者アルトゥール・トスカニーニの音楽に対する情熱を交響楽団に伝えようとする姿。
いずれの場合も、もっと若い人間には発見できない何かを感じて、それは一つの啓示となって私の心を深く打った。
何歳になっても何かに打ち込んでいたいと、私も強く思いました。キーンさんが角田先生とトスカニーニの影響を受けたのと同じ心境で、今私たちはキーンさんを見つめています。
【第48回へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
2006年12月07日
2006ミステリーベスト10
今年も週刊文春の「2006ミステリーベスト10」(全国のミステリー通、書店員が選ぶ!)が発表されました。【週刊文春 2006年12月14日号】
1冊も読んだことがないのですが、あとで参考になるかもしれないので書きとめておくことにします。
1冊も読んだことがないのですが、あとで参考になるかもしれないので書きとめておくことにします。
【 国内部門 】
1: 名もなき毒(宮部みゆき)
2: 狼花―新宿鮫W(大沢在昌)
3: チーム・バチスタの栄光(海堂尊)
4: 赤い指(東野圭吾)
5: 一応の推定(広川純)
5: 乱鴉の島(有栖川有栖)
7: 独白するユニバーサル横メルカトル(平山夢明)
8: 邪魅の雫(京極夏彦)
9: Op.ローズダスト(福井晴敏)
10: シャドウ(道尾秀介)
【 海外部門 】
1: あなたに不利な証拠として(ローリー・リン・ドラモンド)
2: 風の影(カルロス・ルイス・サフォン)
3: 数学的にありえない(アダム・ファウアー)
4: 12番目のカード(ジェフリー・ディーヴァー)
5: 10ドルだって大金だ(ジャック・リッチー)
6: 緋色の迷宮(トマス・H・クック)
7: 奇術師の密室(リチャード・マシスン)
8: クリスマス・プレゼント(ジェフリー・ディーヴァー)
9: わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)
10: 荒ぶる血(ジェイムス・カルロス・ブレイク)
2006年12月03日
日本人に道を尋ねられる
【第45回の続き】
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の第46回
【読売新聞 2006年12月2日朝刊(毎週土曜日連載)】
経済学者の本多利明は、日本は西洋の国々を見習うべきだと考えていた。それも、何もかも模倣すべきという極端な考え方だった。ヨーロッパ人から、日本人が軽蔑されていると思い込んでいたのだ。
日本の首都は、ロンドンと同じ緯度にあるカムチャッカに移すべきなどと主張した。そうすればロンドンと同じ繁栄を築けるというのだ。また効率を重視するばかりに、数の多い漢字を放棄し、26文字しかないアルファベットの使用を考えた。絵画まで日本のものを否定し、ヨーロッパの絵画を誉めた。
今の時代では考えられませんが、未知の言葉をしゃべり、見たこともない外見をしている人に初めて会ったとき、人はいったいどういう気持ちになるのでしょうか。宇宙人との遭遇を想像してみました。そもそも意思疎通ができるのか、自分達と同じ感情があるのだろうかと、恐怖感もあるのではないでしょうか。
平田篤胤(あつたね)は、オランダ人の外見をまるで犬のようだと描写していた。その内容はなんともすさまじい。この平田の意見は、蘭学者たちの反感を買ったものの、日本人の中にそういう見方があったことは確かだった。
昨日はここまで書いて中断しましたが、夜になってたまたま見た「世界・ふしぎ発見!」(TBS)のテーマが黒船時代でした。これまた偶然に、当時の日本人が描いた外国人の絵も紹介されていたのです。険しい形相の鬼のようだったり、人魚のように下半身が魚だったり、顔が猫だったり、1つ目小僧のようなものまでありました。外国人を見たことがない人たちがほとんどだったので、誰もそれを否定できなかった。やはり今でいうと宇宙人みたいなものだろう、というお話でした。恐い表情が多いのは、恐怖心の現れではないかともおっしゃってましたね。
さて、時は明治になり、近代国家建設に向かって外国崇拝の時代もありながら、それでも日本人にとって外国人は「自分たちとはまったく異なる存在」だった。
確かに、ここ数十年でも、日本の文化を古いものだと切り捨てて、西洋文化に流れだすと、日本の文化を見なおそうという声が上がるのですよね。自信を無くしたり自信を持ったり、波のように、外国と日本のそれぞれの文化を行きつ戻りつしながら、また新たな文化が生まれるのが日本だと言えるのかもしれません。
キーンさんには、ごく最近、ことのほか嬉しいことがあった。日本で日本人から道を尋ねられたのだ。
これは十年前だったら起こらなかったことだとも言っています。外国人を悪魔か獣としてしか見られなかった昔の日本人のことから考えると、外国人を見る目の大きな変化を示す出来事だったのです。ユーモラスにこう書かれていました。
考えて見ると、キーンさんは私が生まれる前から日本語をしゃべっているのですよね。それに、普通の日本人とは比べようもないほど日本を深く理解しています。しかしその外見から、日本人と同等に、つまりお客さん扱いではなく普通に、扱われないことで傷つくことが多いのかもしれません。まだまだ私たちは鎖国の後遺症の中にいるのでしょうか。そんな気がしてきました。
2003年、キーンさんは渡辺崋山(思想家、画家)をテーマに研究を始めた。崋山が西洋を偏愛したかどで逮捕され、拷問にあっている絵が、キーンさんの頭から離れなかった。また崋山は日本古来の肖像画や風景画に不満を持っていた。肖像画は、本人と似ていなくても、「威厳がある」などといった抽象的な特徴さえ捉えていれば良かったのだ。
【第47回へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
ドナルド・キーンさんの自伝的長編「私と20世紀のクロニクル」の第46回
【読売新聞 2006年12月2日朝刊(毎週土曜日連載)】
経済学者の本多利明は、日本は西洋の国々を見習うべきだと考えていた。それも、何もかも模倣すべきという極端な考え方だった。ヨーロッパ人から、日本人が軽蔑されていると思い込んでいたのだ。
日本の首都は、ロンドンと同じ緯度にあるカムチャッカに移すべきなどと主張した。そうすればロンドンと同じ繁栄を築けるというのだ。また効率を重視するばかりに、数の多い漢字を放棄し、26文字しかないアルファベットの使用を考えた。絵画まで日本のものを否定し、ヨーロッパの絵画を誉めた。
今の時代では考えられませんが、未知の言葉をしゃべり、見たこともない外見をしている人に初めて会ったとき、人はいったいどういう気持ちになるのでしょうか。宇宙人との遭遇を想像してみました。そもそも意思疎通ができるのか、自分達と同じ感情があるのだろうかと、恐怖感もあるのではないでしょうか。
平田篤胤(あつたね)は、オランダ人の外見をまるで犬のようだと描写していた。その内容はなんともすさまじい。この平田の意見は、蘭学者たちの反感を買ったものの、日本人の中にそういう見方があったことは確かだった。
昨日はここまで書いて中断しましたが、夜になってたまたま見た「世界・ふしぎ発見!」(TBS)のテーマが黒船時代でした。これまた偶然に、当時の日本人が描いた外国人の絵も紹介されていたのです。険しい形相の鬼のようだったり、人魚のように下半身が魚だったり、顔が猫だったり、1つ目小僧のようなものまでありました。外国人を見たことがない人たちがほとんどだったので、誰もそれを否定できなかった。やはり今でいうと宇宙人みたいなものだろう、というお話でした。恐い表情が多いのは、恐怖心の現れではないかともおっしゃってましたね。
さて、時は明治になり、近代国家建設に向かって外国崇拝の時代もありながら、それでも日本人にとって外国人は「自分たちとはまったく異なる存在」だった。
明治維新後は外国の文物に対する崇拝の時期と、日本主義の時期がいつも交互に現れた。
確かに、ここ数十年でも、日本の文化を古いものだと切り捨てて、西洋文化に流れだすと、日本の文化を見なおそうという声が上がるのですよね。自信を無くしたり自信を持ったり、波のように、外国と日本のそれぞれの文化を行きつ戻りつしながら、また新たな文化が生まれるのが日本だと言えるのかもしれません。
キーンさんには、ごく最近、ことのほか嬉しいことがあった。日本で日本人から道を尋ねられたのだ。
その婦人は私の外見におかまいなしに、私が駅の場所を知っていると判断したのだった。
これは十年前だったら起こらなかったことだとも言っています。外国人を悪魔か獣としてしか見られなかった昔の日本人のことから考えると、外国人を見る目の大きな変化を示す出来事だったのです。ユーモラスにこう書かれていました。
蘭学者の長い闘いは、ついに実を結んだのだった。
考えて見ると、キーンさんは私が生まれる前から日本語をしゃべっているのですよね。それに、普通の日本人とは比べようもないほど日本を深く理解しています。しかしその外見から、日本人と同等に、つまりお客さん扱いではなく普通に、扱われないことで傷つくことが多いのかもしれません。まだまだ私たちは鎖国の後遺症の中にいるのでしょうか。そんな気がしてきました。
2003年、キーンさんは渡辺崋山(思想家、画家)をテーマに研究を始めた。崋山が西洋を偏愛したかどで逮捕され、拷問にあっている絵が、キーンさんの頭から離れなかった。また崋山は日本古来の肖像画や風景画に不満を持っていた。肖像画は、本人と似ていなくても、「威厳がある」などといった抽象的な特徴さえ捉えていれば良かったのだ。
【第47回へ続く】
【 目次は → こちら 】
★ キーンさんの原文(英文)は
『DAILY YOMIURI ONLINE』 (http://www.yomiuri.co.jp/dy/)
→ Features → Esaay で、ご覧になれます。
◆ 『昨日の戦地から』
(ドナルド・キーン編 中央公論新社 2006年7月)
終戦直後、米軍の若き日本語将校たちがアジアの各地から交わした手紙の全文を、松宮史朗の訳によって読むことができる。今まで抄訳はあったが全文の日本語訳は初めてのこと。手紙とはいえ、その内容は記録とも言うべき詳しさで書かれている。彼らの目から見た当時の日本を含むアジアの様子を知ることは、現代の日本人にとっても大きな意味を持つと思う。
(byのん)
★ Donald Keene
コロンビア大学名誉教授、日本文化研究者。日本学士院客員。
菊池寛賞、読売文学賞等受賞多数。勲二等旭日重光章受章。
1922年、米ニューヨーク生まれ。
第2次大戦中、海軍語学校で日本語を学び、英ケンブリッジ大学などを経て、
53年京都大大学院に留学。三島由紀夫らとの交友が始まる。
以来、日米に半年ずつ滞在する研究生活を半世紀にわたって続ける。
『日本文学の歴史』『明治天皇』『思い出の作家たち』など
日米で刊行される著作を多数持つ。
2006年12月01日
ケンポウのケン
電話で自分の名前や地名を説明するのって、ややこしいことありますね。昔、そばで聞いていて、机にうっつぷしてしまったことがあります。仮にその人を小田さんだとします。電話口に向かって「オダのオに、オダのダです」って説明してましたから。しかもそれで相手は理解したらしく……。
自分の名前くらいは、誰にもわかる説明を準備しておくと良いのですが、”誰にも”っていうのが、意外と難しいのです。堀井憲一郎さんの「ホリイのずんずん調査」【週刊文春 2006年12月7日号】にも、そんなエピソードがありました。
とすると、”憲”はなんと説明したらわかるのでしょうか。けっこう難題ですね。それに加えて、名前の誤字はよくあることで、アベ首相のアベも簡単な割に間違いやすいです。(と書きながら、今新聞で確認している私ですが…)安倍首相ですね。「阿部」と書く人は少ないと思いますが、「安部」は多いと思います。電話では「ベは何倍のバイです」とか「ニンベンの方です」なんて説明するのでしょうか。あなたは、自分の名前を間違いなく伝えられる自信がありますか?
自分の名前くらいは、誰にもわかる説明を準備しておくと良いのですが、”誰にも”っていうのが、意外と難しいのです。堀井憲一郎さんの「ホリイのずんずん調査」【週刊文春 2006年12月7日号】にも、そんなエピソードがありました。
ケンイチロウは、どういう字でしょうか、と聞かれるとおいらは「ケンポウのケンです」と答える。どうもわかりにくいらしい。あまり人は憲法のことを考えて生きていないのだ。おそらく「健保」とか「剣法」なんておもいうかべてるんじゃないだろうか。堀井拳一郎様という宛名で郵便物が来たりして、電話で話したあの女性の彼氏は少林寺派の拳法家なのかしら、などと余計な想像するばかりである。
とすると、”憲”はなんと説明したらわかるのでしょうか。けっこう難題ですね。それに加えて、名前の誤字はよくあることで、アベ首相のアベも簡単な割に間違いやすいです。(と書きながら、今新聞で確認している私ですが…)安倍首相ですね。「阿部」と書く人は少ないと思いますが、「安部」は多いと思います。電話では「ベは何倍のバイです」とか「ニンベンの方です」なんて説明するのでしょうか。あなたは、自分の名前を間違いなく伝えられる自信がありますか?
