2007年02月26日

脱脂粉乳

 「ベニズワイガニが1人1杯」「和牛が週に一度は出る」「地元で獲れる鯛で鯛めしを」……。なんとも贅沢な食卓ですが、これでも学校給食の話。【週刊文春 2007年3月1日号】の”2007 列島「給食風景」”と題したページに珍しい学校給食の写真が載っている。

 新湊漁協が提供するベニズワイガニを給食に取り入れているのが、富山県射水市と高岡市。両市の小学校43校全ての6年生の給食になる。それも1人に1杯。男の子がカニ肉を顔の上に持ち上げて、嬉しそうに舌で受けとめようとしている。お、おいしそォ〜。

 地元の生産物を給食にとあちこちで試みられているらしい。和牛(熊本県産山村)、鯨肉(和歌山)。あるいは、子供たちが作った米や野菜を利用している所もあって素晴らしい。昔と比べるのは野暮だけれど、今の子はいいなあ。給食のメニューが全然違うもの。写真に添えられた文章を読んで、ますますひがみっぽくなってしまった。

 あなたがかつてアルマイトの食器で食べたのは、固くてボソボソした食パン、コッペパン、それとも米飯? ひょっとして脱脂粉乳を飲んでいた?

 はいはい、その「ひょっとして」の脱脂粉乳世代ですよ〜ダ。しかし、ほんとうに不味かったなぁ。なんとも言えない変な甘い匂い。それだけでウッとしてしまうので、鼻をつまんで飲んだ。全員の盛り付けが終わって、「いただきます」の挨拶をしてから一斉に食べ出すのが基本なのだけれど、何年生のときか、脱脂粉乳だけは先に飲んでも良いというルールがあった。もともと不味いのに、冷えたらその不味さが一段と増すからだ。きっと先生もあの不味さには辟易していたんだろう。

 そんな不評な脱脂粉乳も、もともとは戦後の食料難をみかねてアメリカさんからもらったものだと聞いていたけれど、実際は最初は日系アメリカ人たちが設立した援助団体「ララ(LARA;Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)」が提供してくださったものだと、大人になって知った。昭和22年からいわゆる「ララ物資」による学校給食が開始されている。昭和24年にはユニセフからの援助があった。

 それにしても、私が小学校に入学したのが昭和37年。当時とは時代も違うし、同じ市内の中学校は牛乳だったのに何故? フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で学校給食の歴史を調べてみると、案の定、「昭和33年(1958年)に脱脂粉乳が牛乳へ」とある。やっぱり牛乳に切り替わりはじめて数年経っていたんだ。あの時飲んだ脱脂粉乳は、まさか戦後の支援物資の残り物? まさか…。
のり at 15:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 写真記事

2007年02月22日

作詞家の気持ち

 <国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。>
 <国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。>

 誰もが一度は聞いたことがある小説『雪国』の書き出しの部分ですが、みなさんはどちらを記憶していますか? 正しくは前者なのですが、私を含めて(頭の中で)後者に置き換えて覚えている人が多いようです。

 何年か前にそのことを指摘した記事を読んで、初めて間違って覚えていたことに気づきました。作家が小説を書くとき、書き出しの一語、一文にひときわ神経を使うと言います。川端康成が「そこは」を入れなかったのには意味があるわけで、それを他人が勝手に手を加えることは許されません。間違って覚えただけなら仕方ありませんが、それを『雪国』の文として公にされたら、作家としてさぞかし心外でしょう。

 今、ある歌について、歌手と作詞家との間でトラブルが起きているようです。芸能界のことや法律のことはさておき、作詞という一点だけに話を絞ると、作詞家の気持ちがわかるような気がしました。

 歌の書き出しも、小説の書き出し同様とても大切なもので、その前に数行の歌詞が勝手に付け加えられることは耐えられないはず。書き出しが書き出しでなくなってしまったのですから、言葉の重みも全く異なってきてしまいます。

 それを感じることができない、つまり言葉に対して無神経な人に対して、「自分が作った歌を歌って欲しくない」と言う心情もわかるなぁと思ったのでした。
のり at 10:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事・話題

2007年02月19日

どんなロボットが欲しいですか

 もしあなたの望むロボットを作ってあげると言われたら、どんなロボットを作ってもらおうかな。私は腰が弱点で、このごろは掃除機をかけると腰が痛重く(いたおもく=私の造語?)なる。不本意ながら掃除機をかける回数を減らして、モップ類などでごまかしている。だからラクな操作で隅々の細かいゴミまで吸引してくれる掃除ロボットが欲しいなあ。

 本日の読売新聞文化面の「ロボット技術 あふれる需要」という記事を読んで、そんなことを考えた。マックスヴァルト研究所社長の横山雅子さんが書いていて、ロボットの研究者である専門家とエンドユーザーの間に接点が少ない点を問題視している。まず一般人の考え方の柔軟性に驚く。

 例をあげてみる。高齢の男性は「じきに蛍光灯の付け替えも困難になるだろうから、ロボットタイプの蛍光灯で、簡単にできるといい」。義母の介護を3年間している女性は「食器洗浄器があるのに、介護老人のお尻を、ささっと洗浄するロボットがないのが信じられない」。介護で最も辛いのが下の世話なのだという。

 そうそう、介護や高齢化に伴う不便さといったら、無数にある。そうでなくても日常生活の負担などもいくらでもある。これらに対応してくれるロボットがいたら、どんなに助かるか。何度も書いたけれど、豪雪地帯での雪おろしなど、人々に代わってしてくれるロボットがいたらありがたいだろうに。

 でもほとんどの研究者は、そういった声に接することが少なく、いかに高度な技術を開発するかに専念しているようだ。それらの技術レベルを活かしつつ、役立つ商品として実用化してみて欲しいと、横山さんは書いている。横山さんがロボット関係の会に参加したとき、そんな話をしたところ――。

 帰りにベテランの教授が、声をかけて下さった。「この研究を数十年やっていますが、『お客さま』という言葉を意識したのは今日が初めてでした」。うひょー、嬉しかった。ロボット技術がもっと気楽に外に出て欲しい。そして困っている「お客さま」を助けて欲しい、と心から思った。

 工場などで製造に携わっているロボットは、相当な進歩をしている。これからはエンドユーサーの声を積極的に聞いて、もっと日常生活に密着したロボットの開発に力を入れて欲しい。本当に需要はいくらでもあると思うから。

2007年02月16日

「お言葉ですが…」復活

 週刊文春で連載されていた高島俊男さんの「お言葉ですが…」。
連載終了を残念に思っていた方々、
もっともっと読みたいと思っていた方々に朗報です。
WEB草思にて「新・お言葉ですが…」として復活したそうです。
Akimboさんのブログで知りました)

まだ「お言葉ですが…」を読んだことのない方も、
ちょっとクリックしてみては…?

【追記】昨年末「翻訳blog」さんにて予告されていたのですね(^_^;)
のり at 17:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 高島俊男

2007年02月15日

エドワード・サイデンステッカーさん

 川端康成の「雪国」などを翻訳したのがサイデンステッカーという人物だというのは知っていた。川端がノーベル賞を受賞したとき、彼もスウェーデンに同行したという話も聞いたことがある。どんな人なのかなあとは思っていたけれど、それ以上調べることもなかった。

 エドワード・サイデンステッカーさんが、今現在も日本に在住していることを、今日発売の【週刊文春 2007年2月22日号】で初めて知った。「(新)家の履歴書」というページで、日本や川端康成との出会いなどから現在のことまで語っているのだ。(記者が取材して構成)

 太平洋戦争が激化したころ、サイデンステッカーさんが通っていたコロラド大学の目の前に、海軍日本語学校が移転してきた。徴兵から逃れるためにそこへ入学したのが日本語との出会いだった。45年、長崎の佐世保基地に駐留。そこは焼け野原だった。

 でも、私はこの時代の佐世保が好きでした。戦争に負けても、瓦礫を片付け家を建て直して、働いて。日本人のその精神は、本当に立派だと心を打たれたのです。佐世保の人々のそんな姿を見て、日本――日本人に興味を持ったのですね。

 ちゃんと日本語を勉強しよう、これは一生涯を懸けて勉強するに値する国だな、と思ったそうだ。戦後3年目には外交官として来日したが性に合わず、学生として日本に在住したいと東京大学大学院で平安朝文学を学ぶ。ただし、高橋治(作家)以外の東大生は、威張っているので好きではなかったとか。

 その頃、「源氏物語」の原文を読んで衝撃を受け、いつか訳してみたいと思った。大学院卒業後、小石川に一軒家を購入。大学の講師や翻訳の仕事をする。ただ、日本のインテリたちがソ連贔屓ばかりなのに嫌気がさしてしまい、62年にアメリカに帰り、約20年アメリカの幾つかの大学で教鞭をとった。それでも夏には日本の家に戻って来ていた。その頃約10年かかって「源氏物語」を翻訳した。それが菊地寛賞受賞作品となる。

 川端康成から頼まれてノーベル賞受賞の場にも同席した。受賞スピーチも英訳した。「受賞はサイデンステッカー君のお蔭だ」と、賞金を分けるとまで言ってもらえて、(断ったけれど)泣きそうになるくらい嬉しかったそうだ。

 三島由紀夫のことも書いてある。三島の文学はあまり好きではなかったという。文学よりも評論が一流だったと思っている。

 クセのある人でしたが、人間として好きでしたよ。三島さんの自殺の報を聞いて、「やっぱりな」と思いました。「自殺すべき人間」、三島文学は「自殺で帰結すべき文学」だったんです。でなければ、自分の一生が嘘になってしまう。自殺そのものには驚かずとも、その方法には、やはり驚きましたけれど。

 現在サイデンステッカーさんは、40年ほど前に購入した湯島のマンションで一人暮らしをしている。湯島天神も近く、旧岩崎邸庭園も隣接している緑豊かで閑静な場所だという。残念なのは、サイデンステッカーさんが、川端が亡くなって以来日本文学には興味を持たなくなってしまったことだ。

 私にとっての日本ですか。一言で言うのは難しいですね。最初に目にした、あの佐世保の印象が一番強いです。日本人は勤勉で正直、あの頃と今も変わらないと思います。日本を離れていた時期でも、永遠にアメリカにいるつもりはまったくなかったですし、アメリカにいて日本が非常に懐かしく思えても、その反対の、アメリカを懐かしく思うことはないんです。アメリカには、もうおそらく戻らないでしょう。

 この4ページに渡る「家の履歴書」は、今週だけは捨てないで、ドナルド・キーンさんの「私と20世紀のクロニクル」の連載新聞と一緒に保管しておこうと思っている。

2007年02月13日

マッコウクジラのおでこ

 頭でっかちというか、大きなおでこのマッコウクジラ。あのおでこのでっぱりには、脳油(のうゆ)と呼ばれるものが入っているんだとか。竹内久美子さんの「ズバリ、答えましょう」【週刊文春 2007年2月15日号】に、そんなことが書いてあった。

 一番ビックリしたのは、その脳油は、海上にいるときは液体で、深く潜るときは固体になるということ。鼻の穴から海水を勢い良く吸い込むと、脳油が冷やされて固体になる。質量が大きくなるので、労せずして頭からまっ逆さまに沈んでいける。深海のエサにありつけるわけです。

 では、浮き上がるときはどうするのでしょう。こんどは鼻道から海水を追い出し、脳油を取り囲む血管に血液をどんどん送り、温めて液体に戻す。こんどは頭を上にし、まっすぐ浮上する。な〜んてうまい仕組みなんだろう!

 固体は、イメージ的にはバターとかラードみたいなものなのかしらん? 私のお腹についた脂肪はどうなっているんだろう? 溶けて流れてしまえばいいのになぁ。
のり at 11:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 竹内久美子

2007年02月09日

昭和六十六年!?

 今年が平成何年かと聞かれて、即座に答えられない。エ〜ト、エ〜ト、と少し間があいてしまう。西暦だったら即答できるのに何故なんだろうと思った。昭和のころは、そんなことはなかった。だから、昭和○年生まれです、と聞けばすぐに年齢が計算できた。平成になってからは全然ピンとこない。昭和46年生まれと言われても、……ああ面倒臭い、何歳でもいいや、ってな感じ。ついでに自分の年齢も、このままあやふやにしちゃいたいくらいだ。

 中村うさぎさんの「さすらいの女王」【週刊文春 2007年2月15日号】に賞味期限切れの食べ物の話が出ていた。何度も繰り返した引越しのせいで、開封されないままのダンボール箱が、何十箱も放置されていたそうだ。意を決して開けてみたところ、15年前のクッキーなんかも出てきた。そればかりか、ご主人がもっとすごいものを発見した。

 見ると、その手に握られているのは、コショーの瓶だ。一見、何の変哲もないコショーに見えるが……。
「ね、この賞味期限、見て。昭和六十六年よ!」
 しょーわ、ろくじゅうーろくねん〜〜っ!? なんじゃ、そりゃーっ!
「ちょっと待ってよ。あり得なくない? 昭和は六十四年まででしょ」

 一瞬ビックリ。でも、コショーというところがミソ。作られてから賞味期限切れになるまでが年単位のものならば、こんなこともあり得るのだ。昭和の終わり頃に作られ、年号表記が昭和の場合、(結果的に)存在しない年が表記されてしまっている。

 元号が変わることによって、たぶん他にもいろいろと支障があったに違いない。コンピュータ社会になったことが一番の理由だろうけど、身の周りには西暦表示が増えたように思う。その分、平成何年ということを意識しないで暮らせるようになったのではないだろうか。私が、平成より西暦の方がピンとくるのは、そんなところに原因があるのかもしれない。ところで、このコショーの賞味期限を平成に直すと、平成3年で良いんですよね?
のり at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中村うさぎ

2007年02月05日

おかしいから笑っちゃう

 今朝の読売新聞、文化面に、「日本は『お笑い先進国』」という記事がある。書いたのはルポライターの早坂隆さん。日本は笑いの後進国なのではという声や、日本人は笑わないというイメージに反論したものだ。

 アメリカン・ジョークなどとはスタイルが違うだけで、日本には日本固有の笑いの文化がある、というのが早坂さんの主張で、私も同感だ。落語などの古典芸能から最近の若手芸人まで、「人を笑わせる」という難しい道を極めようとする熱意にはすごいものを感じるし、笑いの芸を社会がちゃんと認めていることが、これまたすごいと思う。

 早坂さんが、海外で「日本のジョークを教えてくれ」と言われたときは、小噺や落語の一部を簡略化して話しているそうだ。

 昔、鰻の老舗として有名な店があった。ある日、貧乏な男が店の前で「匂い」を嗅ぎながら、持参のメシを食い出した。店主が言う。
「お金を払え」
「冗談じゃない、私は何も注文してませんよ」
「うるさい、匂い代だ」
 すると、男は財布から銭を取り出し、チャリンと音をさせる。
「じゃあ音だけな」
 こんな話をするととても喜ばれたりする。相手が分かりづらそうな時は、鰻を焼き魚やステーキに変えたっていい。西洋の笑いとはまたひと味違った、日本独特の笑いのエッセンスがなかなか「ウケる」。

 …のだそうだ。

 一方、同じ日本人でもユーモアの通じない人たちもいる。何を面白いと感じるかには個人差があるので仕方ないのだけれど、まったく通じない人もいる。早坂さんの本の読者からも、「ジョークの意味が分からなかったので教えてください」とか、「どこで笑うべきか、御教授願えないでしょうか」などという手紙が届いたりするそうだ。私も昔、自分では笑い話のつもりでしゃべったのに、誤解され失敗したことがある。

 では笑う側にいれば失敗しないかというと、そうでもない。ちょっとしたことですぐに笑ってしまう私は、「何がおかしいの?」と冷ややかな目で見られることがある。説明できないよぅ、だって、おかしいじゃん!

2007年02月02日

ゲテモノ食い

 所さん(タレントの所ジョージ)は、物事をちょっと違った角度から見て、ハッとさせられるようなことを言う。いつだったか、「例えばエビが土の中の生き物だったら、食べなかったかもしれない」などと話しているのを聞いて、「なるほどなあ」と思った。うなぎだって、ヘビみたいに地面を這っていたら、今みたいに蒲焼にされなかったかも。あわびだって、もし木に貼り付いていたら、ギャッって言いたくなってしまう。

 外国で昆虫の料理を食べるはめになったタレントさんが、恐る恐る口にして、「エビみたい。美味しい」と言っていた。よく考えれば似たようなものなのだ。桜エビを茹でて皿の載せたらご馳走で、昆虫だったらゲテモノという感覚はどこから来るのだろう。

 日本人は、水の中の生き物は、たいていは食べられる物として見ているから、どんな形をしていても、平気で食べられて、逆に陸上の物には警戒心があるのだろうか。外国の人から見たら、「なんでタコみたいなグロテスクな物を食べるの?」ってことになるのだろうに。

 自分の生活している地域の常識や習慣を離れて、世界の食生活を見てみるとどうなのだろう。椎名誠さんが「風まかせ赤マント」【週刊文春 2007年2月8日号】に、世界で食べたもののことを書いている。アマゾンでサル、北極でアザラシとカリブーの生肉、ベトナムでコブラ、オーストラリアの村でトカゲ、パラグアイでワニ。そこにはそれしかない、という事情があるのも事実だと言う。その話が記事なり、タイトルに「ゲテモノ」の文字が入っていたそうだ。

 でもこういう食い物はどうだ。
「植物油脂、動物油脂、魚介エキス、たん白加水分解物、乳糖、かんすい、カラメル色素、増粘多糖類、炭酸Ca、乳化剤、焼成Ca、酸化防止剤、カロチノイド色素、魚肉、結着材料、発色剤(亜硝酸Na)、リン酸塩、カゼインNa、チキンオイル」
 そこらのコンビニに売っているありふれたカップ麺に魚肉ソーセージを適当に切って入れた食い物の内容物だ。

 ぼくは思う。わずか百五十グラムぐらいの中にこれだけいろんな添加物が入っている食い物を食っている国の人が、アザラシやワニやヘビを食っている国の人々をゲテモノ食いとは言えないような気がする。いや、もしかすると添加物ゼロのアザラシの生肉のほうがずっとおいしい健康食ではないかとも思う。

 添加物だらけの食品の方が、ある意味ゲテモノ、という発想に、これまた「なるほどねえ」と思った。
のり at 10:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠