新湊漁協が提供するベニズワイガニを給食に取り入れているのが、富山県射水市と高岡市。両市の小学校43校全ての6年生の給食になる。それも1人に1杯。男の子がカニ肉を顔の上に持ち上げて、嬉しそうに舌で受けとめようとしている。お、おいしそォ〜。
地元の生産物を給食にとあちこちで試みられているらしい。和牛(熊本県産山村)、鯨肉(和歌山)。あるいは、子供たちが作った米や野菜を利用している所もあって素晴らしい。昔と比べるのは野暮だけれど、今の子はいいなあ。給食のメニューが全然違うもの。写真に添えられた文章を読んで、ますますひがみっぽくなってしまった。
あなたがかつてアルマイトの食器で食べたのは、固くてボソボソした食パン、コッペパン、それとも米飯? ひょっとして脱脂粉乳を飲んでいた?
はいはい、その「ひょっとして」の脱脂粉乳世代ですよ〜ダ。しかし、ほんとうに不味かったなぁ。なんとも言えない変な甘い匂い。それだけでウッとしてしまうので、鼻をつまんで飲んだ。全員の盛り付けが終わって、「いただきます」の挨拶をしてから一斉に食べ出すのが基本なのだけれど、何年生のときか、脱脂粉乳だけは先に飲んでも良いというルールがあった。もともと不味いのに、冷えたらその不味さが一段と増すからだ。きっと先生もあの不味さには辟易していたんだろう。
そんな不評な脱脂粉乳も、もともとは戦後の食料難をみかねてアメリカさんからもらったものだと聞いていたけれど、実際は最初は日系アメリカ人たちが設立した援助団体「ララ(LARA;Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)」が提供してくださったものだと、大人になって知った。昭和22年からいわゆる「ララ物資」による学校給食が開始されている。昭和24年にはユニセフからの援助があった。
それにしても、私が小学校に入学したのが昭和37年。当時とは時代も違うし、同じ市内の中学校は牛乳だったのに何故? フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で学校給食の歴史を調べてみると、案の定、「昭和33年(1958年)に脱脂粉乳が牛乳へ」とある。やっぱり牛乳に切り替わりはじめて数年経っていたんだ。あの時飲んだ脱脂粉乳は、まさか戦後の支援物資の残り物? まさか…。
