誰に命令されるでもなく損得でもなくブログを書いている人は、言葉で自己表現をしたいタイプの人だろう。本人としては、書きたいから書いているだけなのだが、書くことによって自分の心を見つめなおし、発散し、結果的にそれが自分を支えている。
今感じている、考えていることを「言葉」という形でアウトプットする、と同時に目からフィードバックされ、自分の存在を確認できて快感になるのか、ん〜、難しい理屈はわからないけれど、書けなくなったら自分を見失ってしまうことは確かなのだ。
書き手のプロである小説家が小説を書けなくなったら、どんなに苦しいだろう。職業としてだけでなく、人間として行き詰ってしまうのではないだろうか。支えるものがなくなってしまうのだから。
中村うさぎさんが、「小説が書けなくなってしまった」と【週刊文春2008年3月6日号】の「さすらいの女王」で嘆いておられた。エッセイは書けても小説が書けなくなっていたのだ。
そして翌号の3月13日号で、やっと元気を取り戻しつつある様子がうかがえる。桜庭一樹さんが直木賞を受賞したニュースがきっかけだった。桜庭さんのデビュー時に、その実力を認め一押ししたのが中村うさぎさんだったのだ。彼女の作品を評価しなかった人たちに対して勝ち誇った気持ちになった。
そしてこんな風に生き生きと書いている。(注:女王様=中村うさぎさん)
女王様は誇りに思わずにいられないのだ。それは自分の鑑識眼というよりも、自分が「これはいい!」と思ったものが間違ってなかったという、要するに己のセンスに対する肯定感だ。
だって、私がいいと思うものが世間に認められたってことは、これから先、私は自分がいいと思うものを書き続けても大丈夫、ということだもんね。もちろん、うまく書けるかどうかわからないけど、少なくとも核になる部分……テーマというか。作品の「魂」みたいなものを、大きく誤ることはないように思えてきたの。よかった、私は間違ってなかった、自分のセンスを信じて大丈夫なんだ、という気持ちね。
「己のセンスに対する肯定感」、ああ、とってもよくわかる。それがあれば、人は元気に生きていける。
「小説とエッセイでは使う脳ミソの部位が全然違う」というのは、うさぎさんのセリフだけど、エッセイを書いていられただけでも、まだ本当のどん底ではなかったと思う。いや、それは素人の考えか。
さて、あなたにとっての自己表現は何ですか? 美しいとか、面白いとか、苦しいなどと感じた時、どうしてますか? 文章を書きたいですか、曲を作りたいですか、歌を歌いたいですか、絵を描きたいですか、何か作りたくなりますか、誰かにしゃべりたくなりますか。
どんなに辛いときでも、表現できているうちは大丈夫…。とても幸せなこと。一人でも認めてくれる人がいたら、なおさら幸せ。