2008年04月27日

'64東京オリンピックの聖火リレー

 昨日(4月26日)の物々しい聖火リレーにちなんで、奇しくも産経新聞と読売新聞両紙のコラムに、東京オリンピック時の聖火リレーの様子がある。

 まず産経新聞(WEB版)の「産経抄」。


 昭和39年に開かれた東京オリンピックの聖火は沖縄を回った後、4つのコースに分かれて国内をリレーされた。参加したのは聖火を持つ正走者に、1チーム20人ほどの随走者を加えると約10万人にも上った。日本人が熱く燃えた一大イベントだった。

 中心になったのは無名の高校生たちだった。当時そんな呼び方はなかったが「団塊の世代」の若者である。後に高度成長を担うことになるこの世代を大人の仲間入りさせるためのもくろみであった気もする。彼らも走者に選ばれたことを誇りに胸を張り走ったのである。


 次は、読売新聞(WEB版)の「編集手帳」。


〈聖火を運ぶ特別機がユーフラテス川上空にさしかかった時、イラク・オリンピック委員会から無電で「聖火リレーおめでとう。ご苦労さま、東京までがんばってください」と連絡が。機上からは感謝の返電が打たれた。まことに感激的だった〉。

 44年前、本紙の同行記者が伝えている。ギリシャから日本まで、途中12都市に立ち寄りながら行われたリレー。残念ながら頭上通過となった国も、祝電でその列に加わった。

 当時は現在とはまた異なる国際事情で中東からアジアを抜けるルートは平穏ではなかった。「緊張の東南アを飛ぶ聖火」などという見出しもある。

 しかし、連日刻々と聖火の動向を報じる特派員電は明るい。〈平和の灯の役目はたす〉〈各国は聖火を国賓待遇で迎え、歓迎式典の盛大さを競い合っている〉。行間には、開催国の記者冥(みょう)利(り)に尽きる、との思いが漂う。


 当時9歳だった私でも、その頃のキラキラした毎日が印象に残っている。小学校でも家庭でも、オリンピックの話題でもちきりだった。日本全体があんなだったんだなあ、とあらためて思い起こしている。

2008年04月26日

「何と申しましょうか…」

 プロ野球初の天覧試合を実況した志村正順アナウンサーがお亡くなりになったことをうけて、読売新聞のコラム「編集手帳」(08年4月26日)が、志村さんを悼む文章を書いている。

 その中のエピソードは、(古い)野球ファンの間では有名な話だけれど、もっと多くの方々に楽しんでいただきたいので、是非ここでも紹介させていただきたい。


 杉下茂投手の球が打者、藤尾茂選手の下っ腹を直撃した。1955年6月7日の巨人―中日戦である。実況の志村正順(せいじゅん)アナウンサーは「当たりました。なんと藤尾の“き…”」と言って絶句した。

 志村アナは机の下で隣の解説者、小西得郎氏の靴(くつ)を蹴(け)った。「き」の続きはあなたが言え、という。二度、三度と蹴る。「何と申しましょうか」の小西節はこうして生まれたと野球評論家、近藤唯之さんの「プロ野球監督列伝」(新潮社)にある。

 急所の「き」やら、何の「き」やら、二人の呼吸が愉(たの)しい。相撲解説者、神風正一さんとの名コンビといい、「声の軽機関銃」と評された実況の名手は掛け合いの手練(てだ)れでもあったろう。

 志村さんが94歳で亡くなった。戦時下には、神宮外苑で出陣学徒壮行会の実況を担当している。戦後は、巨人と阪神が天覧試合に火花を散らした後楽園球場でマイクの前にいた。昭和の世に降る氷雨も、舞う紙吹雪も、その人の声を抜きには語れない。

 「さすがは怪童中西、かすっただけでホームラン。どうです、小西さん」。訃報(ふほう)に、往年の名調子を耳によみがえらせた方もおられよう。


 言葉のやりとりにユーモアと生真面目さがあって、昭和の匂いがしませんか、良い意味で。 

 ちなみに、「何と申しましょうか」のあとは「藤尾君の今の痛さばかりはご婦人方には絶対にお分かりになられない痛みでして」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)と続く。
 

2008年04月25日

あなたの人生を変える女性作家の本100冊

 タイトル通りの特集が【週刊文春2008年5月1,8日GW特大号】で組まれ、著名人がそれぞれ作品を推薦している。ざっと目を通してため息が出た。私が読んだものはほんのわずかだったのだ。

 宮部みゆき『クロスファイア』、桐野夏生『グロテスク』(週刊文春に連載時)、向田邦子『父の詫び状』、青山七恵『ひとり日和』、山崎豊子『大地の子』(文藝春秋に連載時)。こんなところだ。
 
 もともと読書家にはほど遠く、特に女性作家の作品は滅多に読まないのだから、当然といえば当然なのだがこれほどとは…。

 最近出版された中野翠さんの随筆『小津ごのみ』(筑摩書房)が、あちこちで評判が良い。中野翠さんの本も読んだことがないけれど、信頼できる読書家の友人から、たぶん私と中野翠さんは気が合うと言われて以来ちょっと気になっている。

 女性作家食わず嫌いは人生の損なのかなあ。そもそもなぜ私は女性作家の本をなかなか手にしないんだろう。
のり at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | BOOK

2008年04月22日

春の味


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ここから










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掘りたてを……











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若竹煮 (^^♪
のり at 20:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年04月09日

日本にも来るの?

 時事ドットコムのこの記事は、どう理解してよいのやら。


2008/04/09-06:18 聖火消したのは中国側=リレー打ち切り自ら決める−仏
 【パリ8日時事】AFP通信は8日、パリで7日行われた北京五輪の聖火リレーで、聖火を消したり、リレーを打ち切ったりしたのは、中国からパリに派遣されていた北京五輪組織委員会の警備隊だったと報じた。この警備隊が聖火に付き添い、リレー進行を取り仕切っていたという。
 AFPによれば、この警備隊は青いジャケット姿で約10人。仏警察筋は「治安部隊の精鋭だろうが、身元は何も知らされていない」と話している。



あの〜? 
聖火と、この「中国から派遣された警備隊」とやらはセットですか?
長野で聖火リレーをするときも、一緒に日本に来るんですか?
もしかして、聖火を守るためなら、日本の警察より権限があるんですか?
マスコミの皆さん、そこも見逃さないでね。
のり at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事・話題

2008年04月06日

花粉症が嘘と言われた時代

 堀井憲一郎さんが「ホリイのずんずん調査」【週刊文春2008年4月10日号】で、花粉症患者の調査をしている。といっても堀井さんの身近な人たちだけだが。

 花粉症になったのはいつか、という問いに対する回答の中に、1971年に眼科医から花粉症と診断された子の話があって、気の毒でならなかった。


 眼の充血の理由として杉花粉症の話をすると担任の小学校の教師に、そんなことなるわけない、君も君の家族も嘘つきだと言われ、クラスのみんなにうつらないように気をつけるようにと指導されて、給食の配膳は、いつも最後にさせられましたし順番で回ってく配膳係もはずされました。つらかったです。


 それは辛かったよねえ。いくら世間的に知られていない時代とはいえ、教師が嘘つき呼ばわりしたのは許せないぞ。

 一方、ちょっと笑えるエピソードも。


 妻が花粉症。はっきり言って、その辛さはまったく実感できないのですが、だからといって無視するのも夫婦としてまずいので、「今日は花粉が多そうだね、大丈夫?」などと、気を遣ったふりをするのですが、「どうせあなたにはこの辛さがわからない」と、妻が私にいちいち怒るのはどうかと思う。


 あははっ。やさしいご主人だこと。

 さて、堀井さんのごく限られた範囲の調査によると、どうやら花粉症が一般的に知られてきたのは1980年代の終わり頃かららしい。ちなみに私が発症したのは2000年の春だったので、誰からも嘘つき呼ばわりされなかった。もちろん、だからといって幸せなわけではないです。
のり at 09:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | 堀井憲一郎

2008年04月05日

本当はシュンイチロウ

 人の呼び名にちょっと敏感になっているせいか、宮藤官九郎さんの「俺だって子供だ!」【週刊文春2008年4月10日号】に反応してしまった。今までは娘のかんぱちゃんに「おとうしゃん」と呼ばれていた官九郎さんだったが…。


 呼ばれると言えば、たまにかんぱが僕のことを「パパ!」と呼びます。最近はパパの方が一般的だし洒落ているけど、な〜んか違和感。「パパってお父さんのこと?」と訊き返すと「しょうよ」。


 「しょうよ」ですって、カワイ〜。
でも官九郎さんにとって、パパって自分のことのようじゃないんでしょうね。

 実は、私がブログのHN(ハンドルネーム)を変えたのもそこにありました。もともと「のん」とつけたのは自分なのにもかかわらず、「さん」がつくことを想定していなかったのです。「のんさん」と呼ばれたとき、なんか自分のことじゃないみたいだなと違和感が。そのうちに馴染むかと思っていたのですが、馴染まなかったというわけです。

 ところで官九郎さんは、「宮藤官九郎」「クドカン」と呼ばれる他に、かんぱちゃんからは「おとうしゃん」「パパ」、映画の仕事では「カントク」、バンドでは「暴動」、本名は「俊一郎」と、いろんな呼ばれ方をされています。

 このくだりも可愛いです。


 そう言えば、託児施設の先生からの連絡ノートにこんなことが書いてありました。
「最近しっかり話せるようになったかんぱちゃん。
『お父さんね、カンクロウじゃないんだよ、本当はシュンイチロウなんだよ〜』とか言ってました」
 しっかり話し過ぎ。

のり at 14:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宮藤官九郎

2008年04月01日

小さな心機一転

 新社会人のみなさま、元気に朝を迎えたでしょうか。
新年度が始まりましたね。

 だからというわけではありませんが、当ブログも今日を区切りに
新しくなったことがあります。

 ハンドルネームを「のん」から「のり」にしました。
1文字変えるだけで印象が違ってきますね。

 ブログ名は、まだとりあえずこのままです。内容もこのままです。
でも、ちょっとだけ気分転換になりそうです。
のり at 07:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記