まず産経新聞(WEB版)の「産経抄」。
昭和39年に開かれた東京オリンピックの聖火は沖縄を回った後、4つのコースに分かれて国内をリレーされた。参加したのは聖火を持つ正走者に、1チーム20人ほどの随走者を加えると約10万人にも上った。日本人が熱く燃えた一大イベントだった。
中心になったのは無名の高校生たちだった。当時そんな呼び方はなかったが「団塊の世代」の若者である。後に高度成長を担うことになるこの世代を大人の仲間入りさせるためのもくろみであった気もする。彼らも走者に選ばれたことを誇りに胸を張り走ったのである。
次は、読売新聞(WEB版)の「編集手帳」。
〈聖火を運ぶ特別機がユーフラテス川上空にさしかかった時、イラク・オリンピック委員会から無電で「聖火リレーおめでとう。ご苦労さま、東京までがんばってください」と連絡が。機上からは感謝の返電が打たれた。まことに感激的だった〉。
44年前、本紙の同行記者が伝えている。ギリシャから日本まで、途中12都市に立ち寄りながら行われたリレー。残念ながら頭上通過となった国も、祝電でその列に加わった。
当時は現在とはまた異なる国際事情で中東からアジアを抜けるルートは平穏ではなかった。「緊張の東南アを飛ぶ聖火」などという見出しもある。
しかし、連日刻々と聖火の動向を報じる特派員電は明るい。〈平和の灯の役目はたす〉〈各国は聖火を国賓待遇で迎え、歓迎式典の盛大さを競い合っている〉。行間には、開催国の記者冥(みょう)利(り)に尽きる、との思いが漂う。
当時9歳だった私でも、その頃のキラキラした毎日が印象に残っている。小学校でも家庭でも、オリンピックの話題でもちきりだった。日本全体があんなだったんだなあ、とあらためて思い起こしている。




