1928年生まれの作家・澁沢龍彦(しぶさわたつひこ)のエッセイ「記憶力について」(『文藝春秋』1983年9月号の掲載、のちに文春文庫『巻頭随筆W』に収録)を読むと、昔の人はこればかりではなく、いろいろと暗記させられたようです。
小学生のときは、先ほどの歴代天皇の名以外にも、「教育勅語」や「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」を、(澁澤さんの)旧制中学では、英語の時間に必ず、前の授業で習った個所を暗誦させられたとか。
国語で「太平記」を習えば、さっそく「落花の雪に踏み迷う、交野の春の桜がり……」の道行文を暗誦させられた。子どもの頃の記憶力はというものは恐るべきもので、今でも私はほとんど間違えることなく「池田の宿に着き給う」まで暗誦できるのである。
すごいですよね。この文を書いたときの澁澤さんは55歳ですから、40年以上前に覚えた長文なのに、それがすらすら出てくるわけですからね。子供の頃覚えたことは残るのでしょうか。
私たちの時代、学校で暗誦させれることは、どのくらいあったのでしょうか。それすら記憶にありません。今でも覚えているのは算数の九九くらいかも…。
子供の頃、記憶力を鍛えておかなかったせいか、ただの生まれつきなのか(たぶんこちらだと思う)、私は丸暗記というものがとても苦手です。今日も失敗をしてしまいました。
覚えられないことを自覚している私は、たいてい買物リストを書いたメモを片手にスーパーで買物をします。いつも冷蔵庫に貼ってあるメモに、思いつくたびに書きこんでおくのです。今日は他の用事の帰りにスーパーに寄る予定でした。
出かけるときにメモに目をやると、2つしか書いてありません。「たった2つかぁ、あとはいつも買うものを買えばいいんだし、2つくらい、さすがの私でも忘れないしょっ! これを忘れるようじゃ困るもんね」と思いました。そのメモ用紙が「でも一応持っていったら?」と語りかけているような気もしましたが、それでも「大丈夫!」と強がって、メモは置いたままで出かけたのです。
そして、みなさんのご想像通り、用事を済ませてスーパーに着いた私の頭からは、そのメモの内容は消えてしまっていました。いえ、正確に言うならば、なんとか1つは思い出せたのです。でも、どうしてもあと1つが浮んできません。もう本当にガッカリでした。「たった二つのことも覚えられないんだ…」と何度も心の中でつぶやきながら、若干肩を落として買物をしてきました。
家では、冷蔵庫に貼り付いて「ほらねっ」と言っているかのようなメモ用紙が待ってました。うつむいたまま下から盗み見るように視線だけ向けました。「マ、マヨネーズ…かぁ〜」。

中学の古文の時間に、「徒然草」や「平家物語」の冒頭を暗記させられたのですが、今になっては、最初の一行くらいしか出てきません。(^_^;)
買い物のメモ、私ものんさんのように思いついた時に書いて、出る時に持って行くのですが、大丈夫と思って持って行かなかった時に限って、必ず何かしら買い忘れるんですよね〜。
しかも、いちばん肝心な物を。(笑)
買物メモのこと、raikaさんも似たような経験があるようで、少し気が楽になりました。でも、やっぱ「たった2つ」のことがまともに覚えていられなかったってのは、かなり致命的って感じでした。脳細胞が消えていく〜!