見川鯛山氏(みかわたいざん、本名・泰山=たいざん=作家)
5日、心筋こうそくで死去。88歳。〜(中略)〜
医師として同町(栃木県那須町)でへき地医療を続ける傍ら、
「田舎医者」など14冊の小説、随筆を執筆した。
= 読売新聞(平成17年8月9日(火))より =
「見川鯛山先生…亡くなったのかぁ……那須町の人たちも寂しがっているだろうなあ」。今私の手元には見川鯛山先生の本が6冊ある。短編小説集とでもいったらよいのか。昔昔購入したものだ。『田舎医者』『山医者のうた』『医者ともあろうものが…』『続・医者ともあろうものが・・・』『本日も休診』『山医者の茶飲み話』。他にも何冊か図書館から借りたこともある。どの本からも、見川先生が那須町と町の人々をこよなく愛していることが伝わってくるものだったのだ。
オ辰婆さんはシブトイ婆さんである。あと二、三日の命だと私が引導を渡してから、もう半月にもなるのに、まだ死なない。私の差しがねで親戚や一族郎党も集めたし、葬式の用意も万端ととのえてしまったのに、早いとこ死んでくれないと、医者として私は本当に困ってしまう。
婆さんはもともと茶目っ気がおおく、ヒトをヒトとも思わぬ女だった。この場に及んでも私を困らせて喜んでいる。
これは『医者ともあろうものが…』の「婆ッぱ」の書き出しである。ここだけ読むと薄情に思えるかもしれないが、読み進むうちにわかってくる。93歳のオ辰婆さんは意識もなくやっと息をしている状態で薄暗い納戸の中で寝ている。見川先生はオ辰婆さんの手を静かに握って、彼女の生い立ちから人生を振り返っている。ドラマにもなりそうな波乱万丈の人生だ。見川先生は地元の人たちの人生を知り尽くして接している。
でもヤット、使者がとんで来た。
「婆っぱの様子がヘンテコだ、来てくれ」
シメたッ!!
私は息を切らして駆けていった。
そして納戸の戸をガラガラと開けたとき、私はソコで見たのだった!!
オ辰婆さんが布団の上にキチンと坐り、膳に向かって美味そうにメシを食っている。1本も歯のない肛門のような口をモグモグさせながら……。
婆さんが言った。
「オメそこで何ヲしてるだ? 馬頭観音みてぇにポガァと立ってねぇで、こっちさ来ォ。話は聞いたぞイ、俺眠ってる間に世話ンなったそうだが、オメが余計なクスリだの注射だのしネかったオカゲで、俺このとおり達者だワイ、ヒッヒッヒ……」
いつもの、悪タレ婆アであった。だから私も負けずに言った。
「バケモノだぞ婆ッっぱは!! このぶんだとアト何十年生きるンだか、困ったもンだ」
オ辰婆さんはその日、食いどおしに食い、駆けつけた人たちをゲラゲラ笑わせ、アレコレ身のまわりのものを整理して、翌日コロッと死んだ。
このオ辰婆さんばかりでなく町の人々は見川先生を医者とも思っていないようで、その口ぶりが笑わせてくれる。皆からやぶ医者、やぶ医者だと言われながらも遊び相手になったり、身の上相談の相手になったりするのだからその人柄が想像できる。ユーモラスに書かれた町の人々のやりとりの中にいつも温かいものが流れている。
これは小説で、すべてが実話でもなく、かといってまったくの作り話でもないようだ。見川先生と町の人々との関係はこのままだったのではないだろうか。
一方、貧困、難病、偏見、自殺……救われない話もある。見川先生はそのことを直視しながらしっかり描いている。そういう人たちが居たことを知って欲しいと願っているかのように。
本名、見川泰山さんは、代々医者という家の18代目である。昭和17年に、山好き、スキー好きということもあって那須の無医村に開業した。戦時中2年間兵役につき、戦後復員した。その後たまたま那須に避暑に来ていた獅子文六が病気になり、患者と医者という関係で出会ったことが書くことへの興味につながったらしい。趣味は釣、スキー、狩猟だったそうだ。
見川先生、長い間私達を楽しませてくださってありがとうございました。天国でもオ辰婆さんや先に逝った町の人たちとまた賑やかに悪態をつきながら、思う存分遊んでください。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。

先生、あの世では名医もヤブも出番が無くて退屈でしょうが、外国のトンでもないところに行かないで大工の六さんや饅頭屋の安さん達と那須連山の近くにいてくださいよ(^_^)v。心温まるお話、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
寄せていただいたコメントを読みすすめるにつれ、作品に出てくるエピソードが次から次へと頭の中に映像のように浮かんできました。「そうそうポンコツ車に手をやいてね」などと何度も相槌を打ったり、苦笑しながら読ませていただきました。
佐藤さんは私よりもはるかに深く作品を読まれているようで、是非見川先生にお会いしていただきたかったです。でも、実際の見川医院をご覧になったり、ご自宅まで行かれて、素晴らしい経験をなさったようなので、救われました。
実は、この記事を書いた時点では先生の奥さまはご存命だとばかり思っていたのですが、先生より先に逝かれてしまっていたそうですね。作中では肝っ玉母さんのように描かれていたため、まだまだお元気なのだと勝手に思い込んでいました。居間に安置されているお骨を見つめながら、「まだ納骨する気になれないんだ」と先生がおっしゃっていたと、今年の5月に取材した方の記事に書かれてありました。先生もお寂しかったことと思いますが、今ごろは奥さまに甘えていらっしゃるのではないでしょうか。
佐藤さん、気持ちのこもった良いお話を本当にありがとうございました。先生にも伝わっていると思います。
やはり鯛山先生は、人から好かれ尊敬される方だったのですね。
コメントありがとうございました。