姓名判断と聞くと、私は(憧れの!)沢木耕太郎さんの『テロルの決算』(文藝春秋)を思い出します。昭和35年10月12日、社会党委員長の浅沼稲次郎が演説中に刺殺されるという大事件がありました。この本は、事件の周辺のみならず、犯人の生い立ちから獄中での自殺、そしてその後まで丹念に取材されています。
その犯人は、まだ17歳の山口二矢という少年でした。名前、読めますか? 二矢と書いて「おとや」と読みます。2月22日生まれの二男坊だということから縁のある「二」を使い、父親が姓名判断をした上でつけた名前だったのです。『テロルの決算』では、こう書かれています。
姓名判断では、完璧な名だった。しかし、後に日本易学連合会の席上で易学の大御所のひとりは、あれほどの名を持った少年が、なぜあのような運命を辿らなければならないのか、「姓名学では完全な名前の山口二矢が、なぜこのたびのような事件を起こしたかと考えると、姓名学はまだまだ研究の余地があると思います」と嘆かなければならなかった。
私には姓名学うんぬんはわかりません。でも、運命ってあるのかもしれないと思えることがあります。
偶然とはいえ、二矢が事件を起こしたのが12日で、自殺したのが2日と、最後まで「2」を引き摺りつづけていたと、沢木さんは書いています。
