本日付けの読売新聞(WEB版)のコラム「編集手帳」にこんな一節があった。
夕立には「白雨(はくう)」という美しい異称がある。涼しげな名は白い雨脚から付けられたという。〈木から木へこどものはしる白雨かな 飴山実(あめやまみのる)〉。急な雨に遊びを中断して走る子供たちの、はしゃぐ声が聞こえてきそうである
「白雨」、…今まで知らなかった言葉なのに、文字面(もじづら)と読む音から感じることができる。懐かしいような、ちょっと幻想的な情景が。

夕立には「白雨(はくう)」という美しい異称がある。涼しげな名は白い雨脚から付けられたという。〈木から木へこどものはしる白雨かな 飴山実(あめやまみのる)〉。急な雨に遊びを中断して走る子供たちの、はしゃぐ声が聞こえてきそうである
〈後期高齢者といふ新語出づ長生きするは罪のごとくに〉――今月3日の本紙「読売歌壇」の一首(清水房雄選)。日野市の三浦正さんの作歌で投稿に作者80歳と注記があった
いかにもお役所言葉のにおいがふんぷんの新語だ。人生の先輩たちへの尊敬や温かな配慮がいささかも感じられない
日本の企業を視察に来た中国の人が、そこに掲げられている「油断一秒、怪我一生」という標語を見て驚いた、という話がある。何しろ中国では。これは「機械の油を一秒でも切らしたら、自分を一生とがめてくれ」という意味になるのだそうだから。
昔の人はしばしば、「無駄口ことば」を用いた。良かれと思って尽力したのに逆にとがめられたときは、「唐傘屋(からかさや)の小僧で骨を折ってしかられた」と使う◆
長所が見つからないときは「貧乏稲荷で取りえ(鳥居)がない」。急用ができれば「曲がった松の木で走らにゃ(柱にゃ)ならねえ」。簡素な祝い事は「座敷のちり取りで内輪(団扇(うちわ))で済ます」…等々がある◆
そのうち、「勿驚」も「驚いてはいけません」にしても、本当は驚いてもらいたいのだ、と気づいた。更に言えば、受け手が驚くか驚かないかは問題ではなく、それに続く言葉を聞いてもらいたいのだろう。
昨夏アメリカ、ユタ州の山間を、見物旅行していたとき、土産物を売る茶店に美しくもない石がちんれつしてある。何かと思ったらウラニゥム鉱石と説明がついている。
わざととぼけて、この石は何ですか、とおやぢに聞くと、それはウラニゥム鉱石で、それからアトム・ボンブを作るのだ、とすこぶるセンセーショナルな説明をする。
そして、ちょっとこっちへ来なさい、といって、その石を一つとって店の他の側へつれて行く。そこには、何か電気じかけの小さい装置がある。おやぢの言うのに、これはガイガー・カウンターで、これで石の放射能の強さがわかるのだ。
装置のスイッチを入れて、石をそばへもっていくと、バラバラバラと装置にしかけたラウド・スピーカーがなる。これで鉱石からX線が出ていることがわかるのだ、という。
ところが、鉱石をどけても、ときどきポン――ポンと音がする。この音は一体何だ、どこからX線が来るのか、とわざとたずねると、おやぢがすまして、それは宇宙線だ、と答える。
このように、アメリカでは物理学の専門用語が山間のへき地にまで行きわたっている。
「『どんだけ〜』っていうのは、相手や物事に対して疑問を感じたときに使うんですぅ。例えば、仕事で部下が言ったことと違うことをした時になんかはぜひ」
「今年の二月に、私たちの私生活がバラエティ番組で放送されて、そこで私が普段使ってた『どんだけ〜』って言葉を、IKKOさんたちが使って広まったみたい。流行らせようとして言った訳じゃないんですけど〜。イントネーションが面白いのかな?」
元々は、やすこさんの友人の「どんだけッ○○なんだよ!」という口癖が、短くなったものだという。
古くは「くさめ」と言った。くしゃみが出たとき、一緒に魂が飛び出るのを防ぐための呪文だったらしい。
「命長かれ」の意の「休息万命急々如律令(くそくまんみょうきゅうきゅうにょりつりょう)」または「千秋万歳(せんしゅうまんざい)急々如律令」を早口に唱えたのが「くさめ」となったとも伝えられる。だが、柳田国男は「くそ食らえ」と同じ「くそはめ」に由来するののしりの言葉だという。くしゃみを起こし、魂を取り去ろうとする魔物を追い払おうとの気持ちが込められているのだ。
もっとも、杉花粉にまじないは効かない。ののしるよりも、マスクと薬を忘れずに。