2007年07月30日

山本一力さんのエッセイ

 週刊文春から山本一力さんの連載エッセイが消えたときは残念だったけれど、『YOMIURI PC』(9月号)に山本さんのエッセイ「ここで再起動」(第9回)を見つけた。(当たりまえだけど)週刊文春のときと同じ小気味の良い口調のまんまだ。嬉しい。

 山本さんが東京駅から乗ったタクシーのドライバーは、日本全国の地図が頭に入っていると言ったという。35年間、冷凍車や大型トレーラーなどで九州から北海道まで荷物を運んでいたからだ。

 住所ではピンとこなくても、市場名や会社名がわかれば、瞬時にルートが頭に描けるのだそうだ。しかも時間や天候に応じてそれらを変えられる。

 京都のことでも、山本さんの郷里、高知についても淀みなく説明したというから確からしい。山本さんは、これぞプロだと感嘆している。

 しかしトラックドライバーは、荷物の積み込み、積み下ろし、ルートの選択、それらがすべて報酬に関わってくる厳しい仕事だ。「タクシーがこんなに楽だとは思いもしませんでした」。


 素早く目的地に着いたあとは、客が自分で乗り降りしてくれる。積荷をどうしようかと悩むことはない。「1分でも速く、十円でも安く目的地に着くのは、トラックなら当たり前以前のこと。それなのに、タクシーのお客様は喜んでくれる」

 いまは天職だと、顔をほころばせた彼。違う世界で再起動をかけた彼に、幸多からんことを。


 人を見る目の温かさ、締めくくりの文の心地良さ。来月からもこのエッセイを楽しみにしたい。
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2006年07月27日

鼻で呼吸

 毎日蒸し暑くて、身体の内部に熱がこもっているのがわかる。こんなときは、冷たいものを飲んだりするより、熱いものを食べたり、入浴して、気持ち良い汗をかくほうが後味が良かったりする。山本一力さんがホットヨガの体験を「にこにこ貧乏」【週刊文春 2006年8月3日号】に書いている。室温40度の中で90分のヨガをするのだという。

「汗がいっぱい落ちる」は割引した表現だった。
 いっぱいではない。玉の汗が、粒のまま落ちる。フロントで貸してもらったバスタオルが、汗を吸い込んで重たい。絞れば、したたり落ちるほどにタオルが汗を吸っていた。

 爽快だったそうだ。私も機会があったらやってみたいようでもあり、体力的に少し怖いようでもある。

 さて、ここでインストラクターから「鼻で呼吸するように」と言われ続けたそうだ。そのときは理由はわからなかったが、その後、歯医者でも鼻呼吸の大切さを教えられた。「超高性能のフィルターの鼻から息を吸い込んでいれば、有害な雑菌を除去できます」とのことだ。そういえば、口で呼吸すると風邪を引きやすいと聞いたことがある。

 でも、気がつくとポカンと口が半開きになっている私。きっと眠っているときもそうだろう。喉が弱いのもそのせいに違いない。だからといって、眠っている間のことまでコントロールできない。そこで良い方法を山本さんが書いている。医療用の紙テープ(幅2センチ)を10cmに長さに切って、口をふさいで寝ると良いらしいのだ。山本さんの奥様は、それだけで鼾までおさまったという。

 他にもいろいろと効用があるということで、その翌日から、山本家全員が紙テープで口をふさぎ始めたとか。実際試してみると、全然息苦しくないそうだ。本当かなあ? だったら、これからの本格的な夏を元気に乗り切るためにも、鼻呼吸をしながら汗をかいてみようかしらん。

★やまもといちりき
1946年高知県生まれ。
会社員を経て2002年『あかね空』で第126回直木賞を受賞。
『オール読物』での連載をまとめた幕末時代小説『背負い富士』が好評発売中です。
===欄外より===
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2006年06月06日

どっちが得か

 初めて行ったお店で、「会員になればお得ですよ」と言われても、本当に得なのか、とっさに計算が出来ない。ましてや、めったに行かない店で、入会金が必要ならば、私の場合、計算をする気にもならず、絶対に入会しないと思う。だいたい、カードが増えるのは煩わしい。不要なカードが増えたおかげで、本当に必要なカードを紛失してしまったことさえあるので、なるべく増やしたくないのだ。

 しかし、世の中にはそういった会員カードをたくさん持っている人がいる。山本一力さんの奥様もその一人。「にこにこ貧乏」【週刊文春 2006年6月8日号】にこんなエピソードがある。長崎空港近くの温泉でのこと。山本一力さんが入浴券を買おうとしたその瞬間。
「ちょっと待って」
 カミさんの差し迫った声。周りにいたひとも、なにごとかと家内を見た。
「会員になるから」
 わたしはぎょっとした。
 生まれて初めておとずれた、大村である。いつまた来られるやも知れぬ地の、天然温泉スーパー銭湯。なにゆえあって、会員に……。
「だって家族四人ではいるなら、会員になったほうが得だもん」
 この手の計算となると、スーパーコンピュータと互角の速度が、彼女の自慢だ。すぐさま申込書に書き込み、はれて会員に。入会金を支払い、会員証をもらった。
 見事に御明算。親子四人で入浴券を購入したら、入会金を払っても得だった。

 素早い計算! そして彼女の財布は、大量のカードのために大いに脹らんでいるそうだ。なんせ、アメリカで一度だけ寄ったスーパーの会員にもなったほどなのだから。

 それにしても、そんなに気軽にあちこちの会員になって大丈夫なのだろうか。会員になるということは、たいてい申込書に、住所や電話番号といった個人情報を書き込むはず。それが本当に悪用されないという保証はない。その時点でいくらかお得でも、その情報が漏れた場合の危険性を考えたら、金銭には代えられない気がしてくる。心配し過ぎかなぁ。
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2006年03月21日

その星の名前はORUKI

 今年の元日、高知新聞の企画で、読者から星の名前を募集したそうだ。選考の結果、その名前は「おるき」に決まったという。といわれても、何語なんだろう、と思う人も多いはず。山本一力さんの「にこにこ貧乏」【週刊文春 3月23日号】にその経緯が書かれていた。

 この企画が成立したのは、高知に関勉(せきつとむ)さんという、著名な彗星・小惑星発見者(コメット・ハンター)がいたからだ。
 氏がこれまでに発見・登録した新彗星は六個。小惑星にいたっては、二百二十二個にも及ぶ(二〇〇六年三月七日現在))。
 そのなかのひとつの星(小惑星)を高知県民に提供し、命名しようというのが、元日企画のあらましだ。

 コメット・ハンターって格好良い響き。でも、そんなにたくさんの星を見つけるために、いったいどんな生活をしているのか、想像もつかない。その星の名前をつけるというロマンチックな企画は当たったようで、膨大な数の応募があったそうだ。山本一力さんら5名でその選考にあたった。

 何度も投票を重ねた結果、矢野絢子さんが推した『おるき(ORUKI)』に決まった。
「そこに居るから」
 これの土佐弁が、おるき、である。
「遠い宇宙の彼方から、ひっそりながらもしっかりと、ここにおるきと応援している」
 矢野さんの推薦演説に、選考委員が深い賛同を示した結果である。

 名詞ではない星の名前というのは、珍しいのではないだろうか。私には、この”おるき”はただ居るのではなく、どっしりとした頼もしさと温かさがあるように思えるが、地元の人にはどう聞こえるのだろう。

 何回か口の中で繰り返しているうちに、良い名前だなあ、と思えてきた。高知の方々が、ふと寂しくなったり、ため息が出たときに、夜空の中から、「ここにおるき」と語りかけられ、守られているように感じられ、元気になれたら素晴らしい。

 小惑星の名前というのは、スミソニアン天文台小惑星命名委員会に、アルファベット12文字以内の登録申請を行い、審査を受けるのだそうだ。聖なるもの、面白いもの、珍しいもの、好きなものなどから付けた名前、というのはあるだろうけれど、元気になる名前というのはとても良いアイディアだと思った。

 どうだろう、みなさんも自分で星に名前をつけてみては。何も、個人的に楽しむには、未知の星を発見する必要もなく、申請する必要もない。好きな星を決めて、自分に語りかけて欲しい言葉や、自分を見守ってほしい人の名前などをつけて、時々星空を見上げてみたりして…。
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2006年03月06日

命をいただきます

 必殺仕事人が人の命を狙っているわけではありません。ごはんを食べる前に言う「いただきます」のこと。「”いただきます”とは”命をいただきます”ということ」だと聞いたことがある。動物や植物の命をいただいて、自分の命にさせていただく。それらの命に対して感謝の気持ちをこめて「いただきます」と言うのだと。

 あるいは、「苦労してお米や野菜を作ってくれた人、料理を作ってくれた人に感謝」とか、「(働いて食べさせてくれる)親に感謝」、あるいは「(飢えることもなく)食べる物があることのありがたさに感謝」などなど解釈も様々だ。ただ、「命をいただく」という考え方は、一番の根源かもしれない。食べることは、それらの命を食べているのだと、気づかされる。そこから「食べ物を粗末にしてはいけない」ということにもなっていく。

 いろいろとわかったような講釈をしてはみましたが、普段は深く考えもせず、必ず「いただきます」と声に出しているかも怪しいくらい。(合掌する習慣はもともと持っていません)。とてもお行儀が良いとは言えない私ではありますが、「いただきます論争」なるものがあると知り、首をかしげてしまった。

 山本一力さんも「ニコニコ貧乏」【週刊文春 3月9日号】で、そのことに触れていた。その内容はこう。

 「給食費を払っているのに、こどもたちがいただきますと言うのはおかしい。なにも食べさせてもらっているわけではない」と。
 あるラジオ番組に、リスナーから投書があった。沙汰の限りだと、だれもが呆れるかと思いきや、賛成意見も少なからず。

 いやあ、もちろんこれには、山本さん、大憤慨。しかしながら、さすが文章は踊らず、らしい物言いで一刀両断にしている。

 あいさつを損得勘定でとらえてどうしようというのか。
 いただきますの響きを美しいと感じるのは、言葉に深い感謝の意がこめられているからだ。

 ああ、すっきりした〜!
 いや、でも、(山本一力さんの文中には書かれていないが、)現実に学校へ苦情を申し立てる親がいるそうだ。「まるで学校に食べさせてもらっているようで、子供が卑屈になってしまう」という意見までもあるらしい。その話を知って、真っ先に私の口をついて出た言葉は、本筋とはずいぶんかけ離れたものだった。
「こりゃあ、学校の先生も大変だわ」
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2006年02月17日

想像していただけないか

 先日、左目が見え難くくなっていることに気づいて検査に行ったら、「左右のコンタクトレンズが逆になっていますよ」と言われた。い、いつの間に…。子供の頃からそそっかしい。今までの人生で、数えきれないほど恥をかき、数え切れないほど謝り、同じ数だけ自己嫌悪に陥ってきた。ただ、弁解するわけではないけれど、人間ならば誰だって程度の差こそあれ、間違いをするはずだ。私ほどではないにしても。

 山本一力さんの「にこにこ貧乏」【週刊文春 2月23日号】に、羽田空港で搭乗ウイングを間違えてしまった話がある。チェック・インで預ける予定だった大きな荷物を抱え、反対側まで数百メートル歩かなければならなかった。カウンター係員に言わせれば「案内は掲示してあります」ということになる。そこで山本さんは航空会社にお願いがあるという。カウンターの隅にでもカートを置いて欲しいのだと。

「隣のウイングまでは、あのカートをご利用いただけます」
 勘違いした客は、胸のうちでおのれの不注意をののしりながらも、重たい荷物をズルズルとひきずらなくてもいい。
 今回の非は、誤った思い込みで動いた当方にある。が、いままで搭乗ウイングを間違えた旅客が皆無だったとは、とても思えない。
 勘違いしたほうに非があるとしても、だ。
 せめて、南から北まで荷物を運ぶのは大変だろうが、カートが一台あれば運ぶのも楽だろう……ぐらいは、想像していただけないか。

 「思いやり」というのは「想像力」なのだと思う。想像する力がないと本当のサービスもできない。誰もが間違わないという前提で、様々の規則やシステムを作っていたら、必ずやなんらかの支障が起こる。あるいは、掲示物が目にとまり難い位置にあるなどといった原因が、ミスを誘引している場合もある。

 ミスをしたほうが悪い、で済まされては進歩がない。お客さん相手の仕事だったら、「人間とはミスをするものだ。その傷を出来るだけ小さく解決するにはどうしたら良いか。お客さんにとってわかりやすくするにはどうしたら良いか」という観点で、いろいろな場面を想像していただけるとありがたい。ええ、ええ、わかってますとも。私も失敗しないように注意します。でも今までだって気をつけてはいたんですよ。ほんとなんですから。
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2006年01月26日

年賀ハガキで応募する

 懸賞クイズにハガキで応募したことのある人が、山本一力さんの「にこにこ貧乏」【週刊文春 2月2日号】を読んだら、ちょっと焦るかもしれない。山本さんは、企業のキャンペーン企画における懸賞の運営をした経験があるのだ。

 昔(平成元年ごろまで)のことという断りがあるものの、その応募ハガキのチェック方法が興味深い。消印日や条件にあっているかどうかはもちろんだけれど、他にも抽選の前段階で『はずれ』となるハガキがあるのだ。まず読みにくい文字のハガキ(崩し文字。鉛筆で文字が薄い。小さい。文字なのか絵なのか不明)。それと「余った年賀ハガキ」、これも『はずれ』だったとか。

 当たりがほしければ、余りモノなんかで応募してくるんじゃない……応募ハガキを仕分けしているだれもが、口に出さずとも、年賀ハガキには眉をひそめた。
 郵便局に持参すれば、年賀ハガキに交換しれくれる。懸賞に応募するなら、せめてその程度の心遣いはしろよと、スタッフ同士で話した。

 個人宛てに出すのは失礼だけど、懸賞なら良いだろうと余った年賀ハガキを使っている人はけっこう多い。確かに郵便局で交換できるけど、手数料が必要で、しかもその年賀ハガキは無駄になってしまうわけなので、むしろ懸賞で使うというのは、「もったいない」精神からいえば悪いことではないと思う。

 でもそんな風に受けとめられてしまうのですね。時代により、会社により抽選システムは異なっているはずですが、もしかしたら、あなたが懸賞に当たらなかった原因は、運だけではなかったかも。
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2005年12月08日

でっかい郷土自慢

 たいてい他人の自慢話はつまらない。でも土佐出身の山本一力さんの郷土自慢を読んでいるうちに、良い気分になってきた。(「にこにこ貧乏」【週刊文春 12月15日号】)それを紹介する前にひとつ知っておかないといけないことがある。土佐の人はなんでも話が大きくなるので、たとえば太平洋を『おらんく(おれの家)の池』と言うそうな。

「土佐の銅像って、どうしてみんな海を見詰めているんですか」
 問われようものなら、ここぞとばかりに胸を張る。
「なんちゃあやないことを、言わんといてくれ」
しょうもないことを訊くな、が近い意訳である。
「太平洋は、おらんくの池やきにのう。坂本竜馬は、海を見ゆうわけやない。池に泳ぎゆう、潮吹く魚を見ちゅうがぜよ」


 潮吹く魚って、クジラかあ。いいなあ、こっちまで気持ちがで〜っかくなる。大げさといえば、こんな言い方もするそうだ。

 呑めるくちですかと問われれば、少々ならと答える。が、これは字が違う。まことは『升升』で、つまり二升はいけるという次第。
 こんなことを自慢するおとなを見て、わたしは育った。


 ところで、テレビのバラエティー番組で、芸能人のお国訛りを扱ったものがある。その訛りを自由にしゃべらせたかと思うと、「なまり禁止タイム」なるコーナーがあったりして、ゲスト出演者は標準語と方言を使い分けなければならない。若いタレントさんなら、なんということもないだろうと思って見ていたのだが、意外と難しいようで苦労している。ベテランはベテランで、長年東京で仕事をしているにもかかわらず、これまた苦戦している。

 それらの人たちに共通して言えることは、お国言葉で話しているとき、顔がいきいきと輝き、しゃべるペースが速くなることだ。速いというより、リズミカルになるとでも言ったらいいのか、本当にしゃべりやすく、ラクそうに見える。その調子で出身地の自慢話をするコーナーもあって、それが本当に楽しげだ。他の地方の人から見ると些細な自慢だったり、笑ってしまうような内容なのだけれど、本人はものすごく熱く語る。そうなのだ、お国自慢はどこか微笑ましい。
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2005年11月28日

少年が受け取った贈り物

 最近は聞かなくなったけれど、昔は新聞少年という呼び方があった。少年が朝夕とどんな日も欠かさず新聞を配達することは、軽い気持ちではできないことだ。山本一力さんもその一人だった。(「にこにこ貧乏」【週刊文春 12月1日号】)

 わたしが新聞配達をしていた昭和三十七年〜四十一年の冬は、指先や耳に痛みを覚えた。防寒具などは皆無。首に巻いた手拭いで寒さの侵入を防ぎ、軍手を二枚重ねにして指先をあたためようとした。
 が、木綿に暖や保温を求めても詮無いこと。

 そんな寒くて辛い配達のなかで、山本さんは温かくて感動的な体験をしている。12月25日の午前5時半ごろ、ある家の郵便受けに朝刊を入れたときのこと。

 「ちょっと待って」
 玄関ドアから出てこられたのは、その家の奥方。夜明け直前の、冷え込みがきついときだ。しかし彼女は薄いセーター姿で、肩にショールを一枚かけているだけだった。
「毎朝、ごくろうさま」
 彼女はクリスマスの贈り物を用意して、配達を待っていてくれたのだ。
 東京銀座・松屋デパートの包装紙に包まれた小箱には、暗がりでもまばゆい赤いリボンが結ばれていた。
「風邪をひかないでね」
 彼女がドアを閉めるまで、わたしは言葉を失って立ち尽くしていた。

 山本少年にとって、まさに夢にも思わなかったクリスマスプレゼント。はやる気持ちを抑えて、配達を終らせ、手を洗ってからリボンをほどいたという。中身はハンカチだった。このクリスマスプレゼントは高校卒業までの四年間、毎年続いたそうだ。山本さんはそのご婦人の立場になって考える。新聞配達の時刻はほぼ一定であるけれど、必ず決まった時刻とは限らない。

 クリスマス・プレゼントを用意してくれた奥方は、真冬の未明に、ドアの内側でじっと待っていてくれた。
 しかも、ただ待っているわけではない。物音に気を払い、ゴトンッという音を聞くなり、すかさずドアから飛び出すのだ。
 ギフトには、ロータリークラブのグリーティング・カードが添えられていた。
 見返りを求めず、ただ配達員をねぎらうためのギフト。
 あれこそ、『賢者の贈物』だったと思えてならない。

 山本さんのこの想像力は、人を深く温かく理解しようとする力であり、人間模様を描くのに欠かせない観察力でもある。自分以外の人の立場で考えることは、想像力がなければできない。この奥様から目に見えるプレゼントをいただいただけでなく、その心をしっかりと受け止めている。贈る側が思いやりのある人であったばかりではなく、贈られた側がその心情を慮ることのできる人であったからこそ「賢者の贈物」となったのだろう。
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2005年10月23日

身の丈をわきまえる

  山本一力さんの「にこにこ貧乏」【週刊文春 10月27日号 P.105】はこう書き出されている。

 足るを知る。
 身の丈をわきまえる。
 ひとを羨まない。
 亡き母はこの三つを、繰り返し繰り返し、こどもに言い聞かせた。その意味がなんとか分かりかけてきたのは、わたしが五十を過ぎてからのことだ。
 新たにモノを買うときや、新しいモノを欲しいと思ったとき。いまはまず、自分の身の丈にあっているかどうかを考える。

 「身の丈をわきまえる」の「身の丈」も「わきまえる」も、今はなかなか耳にしない。ただ「欲しくても買うのを我慢する」というのと違って、おのれをわかっているかどうかという、自己を見つめる感覚がそこにはある。

 大のコーヒー好きである山本一力さんは、ある店頭で高級なコーヒーメーカーに興味をひかれた。標準金額十万数千円。説明を聞き、ますます気に入ったようだが、なんせ高すぎるということで購入にはいたらなかった。ところが、3ヶ月ほどしたころ再び売り場に行ってみると、大きく値下げされていた。それでも他のものに比べたら図抜けて高かったそうだ。だが、そこでついに買う決心をする。

 酒も呑まない。煙草もやめた。間食もしていない。せめてコーヒーぐらいは、ぜいたくに。いろいろと、自分に言いわけを重ねた、そうでもしなければ、買える値段ではなかった。しかもこのマシンには、豆挽き(ミル)がいる。マシンのそばには、美しいデザインの『臼式ミル』が置かれていた。

 コーヒーメーカーとミルを購入した山本さんは、今は買ってよかったと思っている。

 この味なら、飽きることはない。ゆえに五年でも十年でも、使い続けるだろう。購入時は高くても、前にも書いたが『一生もの』だ。結果的には、安い買い物。言いわけがましいかなあ。

 今や売れっ子作家の山本さんが、コーヒーメーカーを買うことで、1ページをさいて「言いわけ」を書くところが、とても微笑ましい。他人の財布の中身を推測するつもりはないのだけれど、いくら高額といっても、あくまでも「他のと比較したら」ということであって、山本さんにとって手が出ない金額ではないはずだ。金額に置き換えて話をしているけれど、心の中では「自分が最高級のコーヒーメーカーを買ってよい人間か」、という自問自答があったのではないだろうか。それこそおのれの身の丈を意識していたということだ。売値が下がったことで、自分に近づいた感じがして買う決心がついたのでは、と想像する。

 どんな高級なものでも品物の値段を見ないで買う人たちがいるらしい。お金があるのだからそれでいいのだろうし、欲しいものを何でも買えて幸せかもしれない。しかし、それよりも、今回の山本さんの買い物顛末記には、節度を持つ人間的な美しさと、コーヒーの芳醇な香りに似た幸福感が漂っていた。
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