山本一力さんの「にこにこ貧乏」【週刊文春 10月27日号 P.105】はこう書き出されている。
足るを知る。
身の丈をわきまえる。
ひとを羨まない。
亡き母はこの三つを、繰り返し繰り返し、こどもに言い聞かせた。その意味がなんとか分かりかけてきたのは、わたしが五十を過ぎてからのことだ。
新たにモノを買うときや、新しいモノを欲しいと思ったとき。いまはまず、自分の身の丈にあっているかどうかを考える。
「身の丈をわきまえる」の「身の丈」も「わきまえる」も、今はなかなか耳にしない。ただ「欲しくても買うのを我慢する」というのと違って、おのれをわかっているかどうかという、自己を見つめる感覚がそこにはある。
大のコーヒー好きである山本一力さんは、ある店頭で高級なコーヒーメーカーに興味をひかれた。標準金額十万数千円。説明を聞き、ますます気に入ったようだが、なんせ高すぎるということで購入にはいたらなかった。ところが、3ヶ月ほどしたころ再び売り場に行ってみると、大きく値下げされていた。それでも他のものに比べたら図抜けて高かったそうだ。だが、そこでついに買う決心をする。
酒も呑まない。煙草もやめた。間食もしていない。せめてコーヒーぐらいは、ぜいたくに。いろいろと、自分に言いわけを重ねた、そうでもしなければ、買える値段ではなかった。しかもこのマシンには、豆挽き(ミル)がいる。マシンのそばには、美しいデザインの『臼式ミル』が置かれていた。
コーヒーメーカーとミルを購入した山本さんは、今は買ってよかったと思っている。
この味なら、飽きることはない。ゆえに五年でも十年でも、使い続けるだろう。購入時は高くても、前にも書いたが『一生もの』だ。結果的には、安い買い物。言いわけがましいかなあ。
今や売れっ子作家の山本さんが、コーヒーメーカーを買うことで、1ページをさいて「言いわけ」を書くところが、とても微笑ましい。他人の財布の中身を推測するつもりはないのだけれど、いくら高額といっても、あくまでも「他のと比較したら」ということであって、山本さんにとって手が出ない金額ではないはずだ。金額に置き換えて話をしているけれど、心の中では「自分が最高級のコーヒーメーカーを買ってよい人間か」、という自問自答があったのではないだろうか。それこそおのれの身の丈を意識していたということだ。売値が下がったことで、自分に近づいた感じがして買う決心がついたのでは、と想像する。
どんな高級なものでも品物の値段を見ないで買う人たちがいるらしい。お金があるのだからそれでいいのだろうし、欲しいものを何でも買えて幸せかもしれない。しかし、それよりも、今回の山本さんの買い物顛末記には、節度を持つ人間的な美しさと、コーヒーの芳醇な香りに似た幸福感が漂っていた。