2008年05月10日

50の事件

 週刊文春は来年、創刊50周年を迎えるそうだ。5月15日号では、それにちなんだグラビア企画、「週刊文春が撮った!見た!『50年の50の事件』」が12ページもあったので、ひとつひとつの写真をいろんな思いで見た。


 【1959〜1970年】

社会党浅沼委員長刺殺('60) … 演説中の檀上でまさに刺された瞬間の写真
伊勢湾台風('59) 
安保闘争('60)
ベトナム反戦集会('65)
3億円事件('68) … 今でも3億円といえば大金なのですから、そりゃもう
東大安田講堂の攻防戦('69) … 何やってんだか、と思いながらテレビをみていた
三島由紀夫割腹自殺('70) … 現実にこんな出来事が
よど号ハイジャック事件('70) … どうなるんだ、どうなるんだとヒヤヒヤしていた

 私がリアルタイムで見た記憶があるのは、3億円事件以降。

 
 【1971〜1976年】

あさま山荘事件('72) … テレビに釘づけ 
横井庄一元軍曹帰国('72) … ショック! まだ戦争の続きをしていた人がいた
小野田元少尉帰国('74) … ここにも
三菱重工ビル爆破事件('74)
金大中事件('73) … スパイ映画みたい
大久保清逮捕('73) … 連続婦女暴行殺害事件。
            ある年齢以上の人なら、この名前を忘れないだろう
ミグ25亡命('76) … 迷惑だったような
成田空港闘争('76撮影)
ロッキード事件 田中角栄逮捕('76) … ついに

 あさま山荘事件の写真は、あさま山荘を包囲していた機動隊員が雪の積もったなかで立ったままカップラーメンを食べている場面を写している。撮影したのは文藝春秋写真部長の大海秀典氏で、のちに日清食品から当時の写真をCMに使いたいと頼まれたそうだ。

 
 【1977〜1984年】

日航機羽田沖墜落事故('82) … 機長が心神喪失状態
深川通り魔事件('81) 
ダッカ日航機ハイジャック事件('77)
ホテル・ニュージャパン火災('82)
新宿西口バス放火事件('80) 
「疑惑の銃弾」発覚('84〜) … いわゆるロス疑惑
三菱銀行猟銃強盗事件('79) … 立て籠もっていた犯人の写真を見て、
                私は思わず自分の耳を抑えた(わかる人にはわかる)
イエスの方舟('80) 
岡田茂前三越社長逮捕('82)
日本海中部地震('83) … 津波の恐ろしさを知らしめた地震


 【1984〜1988年】

日航機御巣鷹山墜落事故('85) … 今日はばかにヘリコプターが飛ぶんねぇ、
                 などと話していた。こんな大惨事が起きていたとは知らずに
女子高生コンクリート詰め事件('88) 
三井物産マニラ支店長誘拐('86) … 犯人から人質の指が切断されたという
                  嘘の写真が送られたっけ
投資ジャーナル事件('85)
豊田商事事件('85) … カメラの前で殺人事件
三原山大噴火('86) 
岡田有希子自殺('86) … 社会的影響が大きかった
グリコ・森永事件('84) …騒ぎの割に背景が不明
自衛隊潜水艦「なだしお」衝突事故('88)  
リクルート事件('88) 


 【1989〜2000年】

地下鉄サリン事件('95) … 説明不要の未曾有のテロ
松山ホステス殺害事件('97) … 顔は整形しても声は変わらなかった
竹やぶから一億円('89)
雲仙普賢岳噴火('90〜) 
毒入りカレー事件('98) … 笑いながら報道陣のカメラに放水していた林真須美
佐川急便
阪神・淡路大地震('95) … 時間をおうごとに被害が拡大していくのが恐ろしかった
ライフスペース('99) 
酒鬼薔薇事件('97) 
佐賀バスジャック('00) 
宮崎勤逮捕('89) … この名前も忘れないだろう


 事件、事故と共に、自然災害も人生を変えてしまう。被災された方々に対して言葉がみつからない。あらためて大自然を前にしての人間の無力さを痛感させられる。


 ところで写真と一緒に宮嶋茂樹カメラマンのコラムが面白かったので、カメラマンを取り巻く環境が変わったという部分を引用します。


 一番は何ちゅうても写真のデジタル化であろう。昔はどの新聞社の屋上にも鳩小屋があり、現場の我々が伝書鳩の足にフィルムをくくりつけて放っていた。

鷹や隼に襲われるのを恐れて数羽に分けても、時にはアホなハトが他社の屋上に辿り着き、締め切りを過ぎてから鳩を返されるという笑い話もあった。


 マジっすか?
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2007年08月09日

フォークソング

♪ 若かったあの頃 何も恐くなかった
  ただあなたのやさしさが恐かった
          『神田川』(かぐや姫) 

♪ 私は泣いてます ベッドの上で
  あなたに会えて 幸せだった
          『私は泣いています』(りりィ)

♪ おいで皆さん聞いとくれ
  ボクは悲しい受験生
          『受験生ブルース』(高石友也)

☆ 帰ろうか帰ろうか田舎のあの家へ
  青い空白い雲の田舎に帰ろうか
          『望郷』(山崎ハコ)

♪ 時には母のない子のように
  だまって海をみつめていたい
          『時には母のない子のように』(カルメン・マキ)

♪ 君にくちづけした時に
  優しくゆれた白い白いブランコ
          『白いブランコ』(ビリー・バンバン)

♪ 遠い世界に 旅に出ようか
  それとも 赤い風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
          『遠い世界に』(五つの赤い風船)

☆ 死に死を足しても苦になって
  夢は夜ひらく
          『夢は夜ひらく』(三上寛)

☆ 雨が空から降れば
  オモイデは地面にしみこむ
          『雨が空から降れば』(小室等)

☆ パチンコ屋の前をギターぶらさげて
  明日と一緒に歩いているのは
  あれは俺じゃないか
          『青春』(友川かずき)

☆ こんな川原の夕暮れ時に
  呼び出したりしてごめんごめん
          『夕暮れ時は淋しそう』(NSP)

♪ 恋人もいないのにバラの花束抱いて
  いそいそ出かけて行きました
          『恋人もいないのに』(シモンズ)

♪ 下駄を鳴らしてヤツが来る
  腰に手拭ぶら下げて
          『我が良き友よ』(かまやつひろし)

 突然歌詞を並べてみましたが、これらは【週刊文春 2007年8月16・23日夏の特大号】の巻頭および巻末グラビアページでの特集「青春!70年代フォーク歌手大全」に掲載されていたフレーズです。

 当時のフォーク歌手の写真をたくさん見ることができます。ほとんどが長髪ですね(泉谷しげるの長髪姿を見たのは初めて)。

 彼らは私から見ると少し上の世代なのですが、三無主義(無感動、無関心、無気力……だったかな?)と言われた私達の世代に比べると、何かを訴えたり、表現したいという意欲に溢れていたんだろうなぁ、と思います。しかし、みんな歳をとりました。少なくとも、見た目はね。

 それはさておき、中高年のみなさま、上記の歌詞(印象的なフレーズ)を見て、瞬時にメロディーが浮かびましたか?

 えーと、私が口ずさめたのは……歌詞の前に♪マークをつけておきました。
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2007年02月26日

脱脂粉乳

 「ベニズワイガニが1人1杯」「和牛が週に一度は出る」「地元で獲れる鯛で鯛めしを」……。なんとも贅沢な食卓ですが、これでも学校給食の話。【週刊文春 2007年3月1日号】の”2007 列島「給食風景」”と題したページに珍しい学校給食の写真が載っている。

 新湊漁協が提供するベニズワイガニを給食に取り入れているのが、富山県射水市と高岡市。両市の小学校43校全ての6年生の給食になる。それも1人に1杯。男の子がカニ肉を顔の上に持ち上げて、嬉しそうに舌で受けとめようとしている。お、おいしそォ〜。

 地元の生産物を給食にとあちこちで試みられているらしい。和牛(熊本県産山村)、鯨肉(和歌山)。あるいは、子供たちが作った米や野菜を利用している所もあって素晴らしい。昔と比べるのは野暮だけれど、今の子はいいなあ。給食のメニューが全然違うもの。写真に添えられた文章を読んで、ますますひがみっぽくなってしまった。

 あなたがかつてアルマイトの食器で食べたのは、固くてボソボソした食パン、コッペパン、それとも米飯? ひょっとして脱脂粉乳を飲んでいた?

 はいはい、その「ひょっとして」の脱脂粉乳世代ですよ〜ダ。しかし、ほんとうに不味かったなぁ。なんとも言えない変な甘い匂い。それだけでウッとしてしまうので、鼻をつまんで飲んだ。全員の盛り付けが終わって、「いただきます」の挨拶をしてから一斉に食べ出すのが基本なのだけれど、何年生のときか、脱脂粉乳だけは先に飲んでも良いというルールがあった。もともと不味いのに、冷えたらその不味さが一段と増すからだ。きっと先生もあの不味さには辟易していたんだろう。

 そんな不評な脱脂粉乳も、もともとは戦後の食料難をみかねてアメリカさんからもらったものだと聞いていたけれど、実際は最初は日系アメリカ人たちが設立した援助団体「ララ(LARA;Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)」が提供してくださったものだと、大人になって知った。昭和22年からいわゆる「ララ物資」による学校給食が開始されている。昭和24年にはユニセフからの援助があった。

 それにしても、私が小学校に入学したのが昭和37年。当時とは時代も違うし、同じ市内の中学校は牛乳だったのに何故? フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で学校給食の歴史を調べてみると、案の定、「昭和33年(1958年)に脱脂粉乳が牛乳へ」とある。やっぱり牛乳に切り替わりはじめて数年経っていたんだ。あの時飲んだ脱脂粉乳は、まさか戦後の支援物資の残り物? まさか…。
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2006年05月16日

赤塚不二夫のゲーゲー箱

 【週刊文春 5月18日号】グラビアの特別企画は、「漫画家の逸品」。日本漫画を生み、育ててきた七名が愛用した逸品、という紹介がある。「北沢楽天の置物」「手塚治虫のベレー帽」「石ノ森章太郎の8ミリフィルムカメラ」「赤塚不二夫のゲーゲー箱」「池田理代子のペン」「田河水泡のキャラクター人形」「浦沢直樹のギター」の七品だ。

 その中でショッキングだったのが、「赤塚不二夫のゲーゲー箱」。1998年に食道ガンの手術を受けた後、食べた物が逆流し、吐き出しやすくなってしまったために用意されたものだ。その円筒形の箱の側面では、猫のニャロメが気持ち悪そうに大きな口を開けて「ゲエ〜」と言っている。”これは赤塚不二夫のゲーゲー箱 ニャロメ”とも書かれている。別の箱には、「本人以外使用禁止」などと、見た人を笑わせるようなことも書いてあり、闘病の中で、少しでも気持ちを奮い立たせようとしているようすが窺われる。

 売れっ子漫画家は、時間に追われ、心身共に酷使していると聞く。
「週刊誌連載は修羅場なのよ。体を壊して入院したら、面会謝絶の部屋に編集者が踏み込んできて『ともかく退院して描け』って……」
 池田理代子が柔和な口調で語れば、
「右手を自由に動かすため、左腕を突き出すような体勢で、ひたすら原稿を描き続けていたら、左肩を脱臼してしまったんです」
 と、浦沢直樹が笑う。あな恐ろしや。

 今や日本が世界に誇れる代表的な文化となった漫画、アニメ。その内側で、どれほどの健康が犠牲になってきたのだろう。それでも漫画家たちは、ずっとずっと描き続けるんでしょうね。
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2005年11月03日

善意の古着が環境破壊へ

 今から不要となった衣類をパキスタンに送ろうと思っている善意の日本人の皆さま、古着はやめた方がエエ、古着をパキスタンに送るということは、北朝鮮に米を送るのと同じである。本当にそれを必要とする人に届き前に運が良くて雑巾にされるか、悪ければ、あなた方の最も嫌う環境破壊の原因となる。

 と書いているのは、報道カメラマンの宮嶋茂樹さん。【週刊文春 11月10日号】に、彼がパキスタンで撮った被災民テント村の写真がある。タイトルは「不肖・宮嶋、パキスタン国際緊急航空援助隊に同行す」。これが、説明を読んでもちょっと理解しがたい光景なのだ。

 援助物資の古着が捨ててある。こう聞いたとき、たいていの人はたぶんこう思うだろう。衣類が十分に足りてきたので、余った古着の入ったダンボール箱が山積みになっているんだな、と。日本の被災地でもそんな場面をニュースで見たことがあるし。

 ところがパキスタンの写真を見たら、「何これ? 洪水のあと?」などと言うに違いない。古着は捨ててあるというより、ばら撒いてある。テント村の地面が見えないくらい一面にだ。岩の上や窪みの中までグシャグシャに散乱している。子供達がその上に座ってカメラのほうを見ている。しかもこれがテント村だけでなく、道や川にまで溢れかえっているのだという。宮嶋さんが「環境破壊の原因となる」と言っているのはそういうわけだ。肥料にもならないゴミ。

 良かれと思って衣類を送った人たちがこのことを知ったらさぞかしショックだろう。衣類が踏みつけられて邪魔物扱いされているだけでなく、環境破壊の元になっているかもしれないんだから、何のために送ったのかってことです。

 でも、どうしてせっかくの衣類がそんなことになってしまったのだろう。運搬手段が無いために、本当に援助物資を待っている集落などに運べないのだとしても、なぜあたりかまわず散乱させてしまうのだろう。なにも道や川に捨てなくてもいいのに。そう考えるのは、私が世界のことを知らずに日本基準でしかモノを見られないからなのかなぁ?

 食料も医薬品も同じである。量は充分に整いつつある。一番いいのはあなた方自身がこの地までやってきて、それを本当に必要としている人まで運んであげることである。

 本当の善意、本当の救援とはそういうことなんでしょうね。でも、それが一番難しいこと。それにつけても宮嶋カメラマン、いつも大変な場所での取材ご苦労さまです。
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2005年10月13日

世界の人々が食べているもの

 【週刊文春 10月20日号】の後ろのグラビアコーナーに、「地球人は今、何を食べているのか?」という企画がある。カリフォルニア在住の写真家、ピーター・メンツェル氏が発表した写真集『Hungry Planet :What The World Eat』(飢える惑星-世界が食べているもの)の中から9家族が紹介されているのだ。それぞれの家庭のキッチンで撮影されたと思われる写真には、一家揃った笑顔と、その家族が食べている一週間分の食品がおさめられている。また説明文の中には、一週間分の食費なども記されている。

 最初のページはエクアドルのエイメ一家だ。30代の夫婦と8人の子どもたち。壁際にお鍋が並んでいるのでキッチンだろうと想像するだけで、みな床や低い何かに座っている。みんな帽子を被ってちょっと恥ずかしそうで、それでいて幸せそうな笑顔をしている。その床に並べられている食物は自分たちで栽培した野菜と、飼育している乳牛のミルクのようだ。高地の痩せた土地で栽培しているのだという。まだ子どもたちが幼いとはいえ、これで一週間分というのはどうなんだろう、というくらいの量だ。食べたいけど高すぎて手が出せないのは「サーディンの缶詰とパッケージされたチーズ」だという。一週間の食費、$31.55。

 次は見開き2ページでドイツのメランダー一家だ。早い話1ページでは収まらない。40代の夫婦と2人の子ども。前のエイメ一家の印象を持ったままこの写真を見ると、「たった4人でこんなに食べるんかい」と言いたくなる。飲み物だけでもビンとパックが数十本。果物、野菜、パン、もちろん何でもある。一週間の食費、$500.07。

 次も見開き2ページだ。こちらは収まりきらないのではない。先ほどの食品に埋もれるように人がいる写真と違って、人間が大きく写し出され、その手前にほんの少しだけ並べられている布袋に入った食料。チャドのアブバカル一家は、母親と子ども5人で難民キャンプにいる。スーダンの内戦から逃れてきたのだ。父親を事故で亡くした。食料は国連による配給だけなのだ。約400gの穀物、スプーン1杯の塩、4分の1カップに満たない豆類、サラダ油だけが一日当たりの配給だという。一週間の食費、$1.23。

 このあとに、アメリカ2組、中国2組、ポーランド、フランスと続くのだが、いかにも「〜らしい」と思ったのがアメリカの2家族だ。1ページの上下に写真が並んでいるのだが、どちらも少しの果物はあるものの、他は圧倒的にパックされた箱や袋類ばかりで、置き場もなくあふれんばかりに並んでいる。左のページに中国の2家族があり、そちらにある野菜が目をひくだけに、「野菜は?」と訊ねたくなってしまう。

 ある国のある家の食生活が、その国すべてを代表しているわけでもなく、簡単に食料が手に入る豊かな国と、難民キャンプの食事が別世界のように違うことも承知していることだけれど、それでもこの9枚の写真には興味深いものがある。この写真集に、日本人の写真が掲載されているのか、いないのか、いろんな意味でのぞいてみたい。アメリカを笑えない食生活が映し出されていたりして…。
(この写真集の日本語版は、来年3月TOTO出版から発売予定。
 邦題、価格は未定だそうです)
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2005年07月22日

天明屋尚さんが描いたドイツW杯公式アートポスター

 2006年にドイツで開催されるサッカー・ワールドカップの公式アートポスターに14名の作品が選ばれたそうだ。日本人の作品もその中にある。天明屋尚(てんみょうや ひさし)さん(39)がその人で、ポスターの写真が【週刊文春 7月28日号】に掲載されている。絵を描くことにも観ることにも、てんで興味がないのだが、つい目を凝らしてしまう気になる絵だ。

 鎧と兜といういでたちで、二人がサッカーをしている。二人と書いたが、中身が人間なのかよく分からない。鎧兜を飾るときに人間と同じくらいの人形(?)に着せているが、その黒い顔のように見える。目の縁と唇だけが白い。

 一人はこちら向きで今にも左足でボールを蹴ろうと、後ろに振り上げている。もう一人はこちらに背を向け、スライディングするように左手で身体を支え、懸命に右足を伸ばし、それを防ごうとしている。鎧の胴には「10」とある。重い鎧兜をつけているのにスピーディーに見える。真剣勝負に見える。

 浮世絵で見かけるが、右上に札のような形をしたものに「蹴球之図 天明屋尚筆」という筆書きがあり、それを龍が抱え込んでいる。日本画なのだろうがなんとも不思議だ。

 今回、コンペへ臨むにあたり、10キロもの兜を着て、ポーズの研究から始めた。縦1メートルの板に金箔を貼り、1ヶ月間数ミリずつ「米粒にも描ける細さ」という筆を動かした。

 天明屋尚さんとはどんな方なのか。

 元はサラリーマンだった。画家を夢見て30歳で退社。5年前からようやく絵筆一本で生計を立てられるようになったという。

 とあるが、もう少し知りたいのでネットで調べて見ると、「1966年生まれで、独学で絵画を学んだ」そうだ。「ネオ日本画絵師」という紹介もあった。やはり新しいタイプの日本画のようだ。

 FIFAのブラッター会長が「グレイト!」と喜んだというこのポスター。金箔がどういう風に使われているのか見たい。格子状の背景は何を意味しているのだろう、もっと細かいところが見たい。どんな色彩なのか見てみたい。
…なんで白黒写真なの?

 ★ 追記(7/23)
 けいさんから、カラー写真が掲載されているHPのアドレスを教えていただきました。みなさまにもご覧になっていただければと思います。
 けいさん、ありがとうございました!
      http://fifaworldcup.yahoo.com/06/de/o/artposter.html
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2005年05月20日

蓋する情報は漏れてゆく

 今、中国は本当はいったいどうなっているのだろう。各地で不満をかかえた農民や労働者による暴動が起こっているという話もあるが、「中国政府が恐れた労働者の反乱=報じられなかった大暴動」【週刊文春 5月26日号】で初めて現場の写真を見た。

 先月初旬からの反日暴動の陰で、もっと過激な暴動が中国で起こっていた。それが<約5万3千人の暴徒が荒れ狂い、鎮圧後の死者が137人ともいわれる浙江省東陽市画竜鎮で発生した反政府暴動である。>と書かれている。

 写真は、暴動の最中ではなく、その後を写したようで負傷者などは見られない。破壊され横倒しや仰向けになっている高級車、ボコボコにへこんでフロントガラスなどが割られている「POLICE」と大きく書かれた車(公安側にも多数の犠牲者がでたという)などだ。

 もちろん、これらの写真の真偽のほどは私には確かめようもないのだが、中国政府がそのことに触れないでいることでやはり隠していると思えてくる。

 しかしなにより興味深かったのは、この写真がどういう手段で私たちの目に触れることができたのかという点だ。これらの写真が掲載されたのは、中国のインサイドニュースを投稿形式で紹介しているサイト『博訊』で、現在の本拠地は外国とされているそうだ。

 それ以上詳しいことは分からないようだが、いったんカメラにおさめてしまえば、規制が厳しくてもいくらでも外に送れる時代になったということか。昔と違って、たとえ国家がかん口令を敷いても、というより蓋をしようとすればするほど、時を経ることなく情報は漏れていくのだ。世界へと。
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2005年04月24日

外山ひとみさんの写真

 【週刊文春 4月28日号】の巻末グラビアを、ついでのように見ていたところ、見開きの右ページに見覚えのある顔がある。ベトナムの双子、ベトちゃんとドクちゃんのドクちゃんの方だ。お互いの身体の一部が結合していたが、分離手術によって一人で動けるようになったドクちゃんだ。勤務先の病院でパソコンに向かっている元気な姿がうつっている。

 そのまま左ページに目を移すと、中年の男女3人が自然の風景を背景にして立っていて、中央の女性がおなかのあたりで写真をこちらに向けている。その手にした写真が目にとまった。「え?これって・・確か、有名な写真だよねえ」。

 写真のキャプションには、こう書かれていた。”沢田教一「安全への逃避」、40年前に撮影した実際の場所と子供たちの今”

 女性の手にある写真が、「安全への逃避」だったのだ。ピュリッツアー賞などいくつもの賞を受賞した作品でもあり、親子が命懸けで川を渡って逃げていく姿があまりに印象的だったからか、私のような写真のことを知らない人間でも記憶に残っていたのだ。

 言われて見直せば、3人のすぐ後ろには水面が見える。ここがあの渡った川で、写真の中で悲しい目をしていた子どもたちが今のこの人たちなのか。今どんな気持ちでここに立っているのだろう。恐ろしい思い出だろうに、と思ったが、左上に組み込まれている写真のキャプションを読んで少しほっとした。

 ”「父親のように尊敬する人」と、家に飾られていた沢田教一の写真”とあったのだ。額にはいった飾り物と一緒にカメラを持った沢田さんらしき写真がある。 

 ページを戻して、あらためてグラビアのタイトルを確認してみると、ベトナム戦争終結30周年特別企画「変わるもの、変わらないもの」とある。そう、ベトナム戦争が終わって30年たったのだ。日本ではもう話題になることのほとんど無いベトナム戦争。

 ”ベトナムに魅せられ、長年にわたり、かの地の人物と風景を撮り続けてきた写真家・外山ひとみ氏のフォトルポルタージュ”とある。外山さんとベトナムとの関係は、もう13年に及ぶという。4月27日から1週間、ベトナムで何度目かの写真展が開かれるそうだ。
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