2007年12月09日

いいたいことが言葉の中にないの


「だいじょうぶ! すぐまた『青』になるから」は、信号が赤になってイライラしていた父親に二歳になる息子が言ったひとこと。


 手帳で有名な高橋書店が主催している「手帳大賞」。日常生活の中で思わず口にした言葉で、心に響くものなどが選ばれているらしい。応募は毎回二万通近くあるそうだ。

 椎名誠さんが、ここ3年間で上位に入ったものから、気にいった20個ほどを「風まかせ赤マント」【週刊文春 2007年12月13日号】で紹介している。

 私から見ると、素直に感心できず、わざとらしいなぁ、と思うものもいくつかあるけれど、きっとそれは私の心根の問題でしょう。もちろんストレートに受け入れられるものもある。冒頭であげた二歳のひとこともそのひとつ。大人の気負いがふっと緩められたことでしょう。他に笑ったものと、心に響いたものを少し並べてみたい。


「みんなを守る勉強をしとるんや」
というのは、ウルトラマンのビデオばかり見ている四歳になる息子に「テレビばかり見ているとバカになるで。少しは勉強せなあかん」と怒った父親に答えたひとこと。


 そうだ、地球を守るんだ!


「この子の顔にはこの鼻があっている」
思春期を迎えて自分の低い鼻にコンプレックスを持っていた頃に母方の祖父が言った言葉だという。以来この娘は自分の顔、鼻が好きになっていったらしい。


 救いのひとこと。


 「いいたいことが言葉のなかにないの」
と言ったのは三歳の幼児だという。


 本当に、三歳児のことば? 私の悩みと同じなんですけど。
のり at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠

2007年11月18日

まだ食べられる

 先日の「赤福」による賞味期限の偽装問題を知ったとき、「へ〜、冷凍解凍してもお客さんには気づかれないものなんだぁ」と思った。人の味覚はあてにならないなあ、と。

 でも食べた人たちが美味しいと思い、健康被害もなかった、ということは、結局賞味期限とはなんだろうということになる。「ウソはいけません」というのは当たり前すぎることなので、それはそれとして……。

 椎名誠さんもその件について、「風まかせ赤マント」【週刊文春 2007年11月22日号】に、なるほどと思うようなことを書いている。


 もったいない、という気持ちがまず最初にあったんじゃないだろうか。それは分かるような気がする。

 だって一生懸命作った餅がまだ十分食べられる状態でまわりにいっぱいあるんですぜ。

 食べられる餅だらけの環境に立ったら普通の人は「もったいない」と考えるでしょう。それにまた餅ほど冷凍と解凍に適したものはないしなあ。冷凍したのをもどいたのを別規格で安く売る、という発想をその当初からしていたら、と思うけれど。今だから言えるコトなのだろうなあ。


 餅は冷凍解凍に適しているんですね。ああ、そういえば、お正月用のお餅が食べきれないときは、冷凍しておくと何ヶ月後でも美味しく食べられる。

 正直に表示し、あとは味で勝負すれば良かったのに。
のり at 14:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠

2007年10月21日

じゃがいものような人

 椎名誠さんが「風まかせ赤マント」【週刊文春 2007年10月25日号】で、花に花ことばがあるなら、野菜にも野菜ことばをあげたいと書いている。

 たとえばタマネギは、安いにもかかわらずどんな料理にも使えるので、「従順、万能、つくす心、ひたむき、質素、永久のやさしさ」など。だいこんは、「おおらか、寛容、庶民的、世話好き、…」といった具合に、おなじみの野菜たちに野菜ことばを考えている。言われればそんな感じもしないでもないものばかりだ。

 ところが、じゃがいもが「朴訥、無骨、無口、耐える力、不屈の精神」となっているのを見て、これってちょっとどうかしら、と思った。確かに「じゃがいものような人」といったら、見た目は良くないけれど、素朴で芯が強い人のようなイメージを浮かべてしまう。でも、それはじゃがいもイコール無骨などと思い込まされているだけじゃあないのかしらん。

 先入観を取り払ってじゃがいもを見つめてみると、本当にどんな味付けにも合うし、どんな形になっても(つぶされても)自分を見失わないで、それでいてちゃんと周りと調和している。ある意味大人の野菜に思えてくる。見た目だって悪くない。そこで私からは、じゃがいもに「温厚、調和、万能、親しみ」を与えたい。

 なぜこんなにじゃがいもにこだわるのかっですって? 
ええ、ええ、じゃがいもが好きなんです。
のり at 22:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠

2007年06月28日

つまり…

 昔、「要するに」が口癖の友人が居た。ところがその後に続く内容がちっともまとめにも結論にもなっていなかった。気をつけてみると、「だから」とか「結局」とかをやたら連発する人に限って、話がだらだらと続く傾向にある。

 椎名誠さんの「風まかせ赤マント」【週刊文春 2007年7月5日号】にも似たようなエピソードがある。


「つまり」は男がよく使う言葉で、これを言うとなにか妙に賢く聞こえたりするが、ぜんぜん「つまり」を言う必要がなかったりすることが多い。
「彼の言っていることはつまり基本のところで間違っているんだよ。つまりその話のおおもとのところが問題なんだな。つまり……」で、全然話が進まなかったりする。


 つまり、要するに、結局、えーと、えーと、言いたいことは、つまりそういうことなのだ。
のり at 19:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠

2007年02月02日

ゲテモノ食い

 所さん(タレントの所ジョージ)は、物事をちょっと違った角度から見て、ハッとさせられるようなことを言う。いつだったか、「例えばエビが土の中の生き物だったら、食べなかったかもしれない」などと話しているのを聞いて、「なるほどなあ」と思った。うなぎだって、ヘビみたいに地面を這っていたら、今みたいに蒲焼にされなかったかも。あわびだって、もし木に貼り付いていたら、ギャッって言いたくなってしまう。

 外国で昆虫の料理を食べるはめになったタレントさんが、恐る恐る口にして、「エビみたい。美味しい」と言っていた。よく考えれば似たようなものなのだ。桜エビを茹でて皿の載せたらご馳走で、昆虫だったらゲテモノという感覚はどこから来るのだろう。

 日本人は、水の中の生き物は、たいていは食べられる物として見ているから、どんな形をしていても、平気で食べられて、逆に陸上の物には警戒心があるのだろうか。外国の人から見たら、「なんでタコみたいなグロテスクな物を食べるの?」ってことになるのだろうに。

 自分の生活している地域の常識や習慣を離れて、世界の食生活を見てみるとどうなのだろう。椎名誠さんが「風まかせ赤マント」【週刊文春 2007年2月8日号】に、世界で食べたもののことを書いている。アマゾンでサル、北極でアザラシとカリブーの生肉、ベトナムでコブラ、オーストラリアの村でトカゲ、パラグアイでワニ。そこにはそれしかない、という事情があるのも事実だと言う。その話が記事なり、タイトルに「ゲテモノ」の文字が入っていたそうだ。

 でもこういう食い物はどうだ。
「植物油脂、動物油脂、魚介エキス、たん白加水分解物、乳糖、かんすい、カラメル色素、増粘多糖類、炭酸Ca、乳化剤、焼成Ca、酸化防止剤、カロチノイド色素、魚肉、結着材料、発色剤(亜硝酸Na)、リン酸塩、カゼインNa、チキンオイル」
 そこらのコンビニに売っているありふれたカップ麺に魚肉ソーセージを適当に切って入れた食い物の内容物だ。

 ぼくは思う。わずか百五十グラムぐらいの中にこれだけいろんな添加物が入っている食い物を食っている国の人が、アザラシやワニやヘビを食っている国の人々をゲテモノ食いとは言えないような気がする。いや、もしかすると添加物ゼロのアザラシの生肉のほうがずっとおいしい健康食ではないかとも思う。

 添加物だらけの食品の方が、ある意味ゲテモノ、という発想に、これまた「なるほどねえ」と思った。
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2006年06月22日

そうそう、昔はね…

 椎名誠さんの「風まかせ赤マント」【週刊文春 2006年6月29日号】のタイトルは「むかしはこうだった話」。おじさん、おばさん、若いやつ(”やつ”と呼ぶところで椎名さんの気持ちがわかりますね)、古い人(明治30年頃の人)というアバウトな不特定人物たちが登場し、主におじさんとおばさんが昔はこうだったという話をしている。

 おじさん=むかしはコピー機が会社になかったのでいちいち近所の文房具店まで行って貸してもらってたんだ。
 若いやつ=ウソー。
 おばさん=そうよ。結構高いの。一枚三十円くらいだったかしら。
 おじさん=その前は青焼き。設計図なんかでよくあったでしょ。アンモニア臭いの。あれがすなわちコピーだった。

 懐かし〜い。青焼きってあった、あった。読み進むと、忘れていたいろんなことが「そうそう、そうだった」と思い出される。冷蔵庫は氷で冷やしていた。ミシンが目立つ場所に置かれていた。テレビのチャンネルはダイヤルを回すので、「チャンネルを回して」と言っていた(つい最近まで言っていたような気がするが・・・)。ステレオのスピーカーが家具のように大きかった、などなど、やはり、電気製品に関する変り様が、ここ数十年の劇的な変化を一番はっきり現しているようです。

 おばさん=洗濯機の上にローラーが二本ついていて洗ったものをそこに挟んでクルクル回して水気をとるのが結構力がいって大変で……。
 若いやつ=なんで脱水機をつかわなかったんですか?
 おじさん=だあらね、時代がね……。

 言葉も変化してます。

 おじさん=鉄道の駅には柱の下にタン壺が置いてあった。
 若いやつ=ありえねー。
 おばさん=私がOLだった頃、
 若いやつ=ありえねー。
 おばさん=キッ!
 おじさん=OLだった頃どうしたんですか?
 おばさん=私たちより少し前までの先輩女性社員はBGと呼ばれていたんです。ビジネスガールの略ですね。でもBGだと商売女だというんで今のOLになりました。

 そういわれると、「BG」という略語が問題になったという話もかすかに覚えてます。今に慣れてしまっていると、昔のことは忘れているものだと、改めて思った次第。若い人が「ありえねー」と言いたくなる気持ちもわかる。逆に、子供の頃の自分が、今の時代の生活を知ったら、どんなに驚くだろう。汲み取り式トイレからオバケが出るという怖い話も、昔でなければ通じない。その頃の子供達に、トイレから小さなシャワーが出て、お尻を洗うんだよ、と話したら、それこそ「ありえねー」と言われることだろう。うん? 「ありえねー」って、昔の子は使わなかった?

★椎名誠
新刊『波切り草』が発売。
東京湾の漁師町で育った男が主人公の青春小説。
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2006年05月10日

機械音痴ユーザーの本心

 数年前、必要に迫れられてやむを得ず携帯電話を買ったとき、分厚い説明書がついてきたのには驚いた。たかが電話に、何の説明が必要なのだろうかと思ったが、なにやら様々な機能がついているらしい。なのに実際は結局、普通の電話機としてしか使っていない。まさに、宝の持ち腐れというところ。私には、説明書は紙一枚で充分だったのだ。

 椎名誠さんが「風まかせ赤マント」【週刊文春 5月18日号】で、最近の機械類には機能が付き過ぎているのではないかと書いている。たとえば新しく買ったカーナビがサービス過剰で、椎名さんは混乱してしまった。その例えが愉快だ。

 おいしいごはんをつくってくれさえすればいい、と思って結婚した嫁がお茶をやるわ琴をひくわ花をいけるわパッチワークをやるわ窯をいじるわ社交ダンスをやるわホットヨガ教室にかようわでやたら忙しく、結局亭主はカップ麺を自分で作っているようなものだ。

 DVDプレーヤーにも、子供に見せたくないような過激な場面を自主視聴規制する機能がついているのもあるらしい。椎名さんは、納入時に設定されているその機能を解除したいのだが、いまだに出来ないでいる。映画を観ていると、たとえば建物の爆破シーンが突然黒くなってしまったりするのだそうだ。

 これからは、テレビもますます多機能になるらしい。高齢化時代なのに、テレビすらややこしい操作が必要になるのだろうか。ニュースによれば、「地上アナログ放送が終了したら、どうしますか?」というアンケートに、高齢者の一部の人たちは、「もうテレビは見ない」と答えたそうだ。たぶんよく意味がわからずに、今のテレビのままでは見られなくなるといった断片的な情報だけを聞いて、答えたのだと思う。とにかく面倒臭そうとか、難しそう、という印象を持ってしまうのだ。

 デジタル放送になれば、あんなことも出来ます、こんなことも出来ますと言われても、「いえいえ、今まで通り見られればいいんです」と反論したい。多機能を求めているユーザーばかりではなく、単純な操作の製品を探し求めている人がたくさんいることを知って欲しい。操作が複雑だと、ちっとも便利ではないのだとわかって欲しい。

 最後に椎名さんはロボットのことまで心配している。もしロボットを操作することになったら、いったいどれくらいの説明全集(!)を読まなければならないのかと。

 難しくて複雑でいいかげんイライラして買ったばかりのロボットにあたりちらし、操作を間違えてロボットの鉄の腕に口なんかをねじ曲げられたりしないだろうか。

 もしも、どこの家にもお手伝いロボットがいる時代になっても、あれこれ出来るロボットではなく、とりあえずお掃除専門のだけでいいや、と思った。
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2006年04月12日

サウナに帽子

 椎名誠さんは、海外のサウナを体験している。(「風まかせ赤マント」【週刊文春 4月13日号】)シベリアのサウナは2回入っている。一回目は、水風呂代わりに、外で身体を冷やすものだった。

 マイナス40度の外に出ていくと全身からもの凄いいきおいで湯気がわきあがり、オレの体にこんなに湯気があったのか! と驚きかつ感動する。濡れたタオルなど持って出るとたちまちパキンパキンになってしまい体を傷つけたりするから全身スッポンポンのほうがいい。

 あとは、冷たさと熱さとの限界まで耐えることを交互に繰り返し、最後にビールを飲む。これって、心臓とかに悪そう。2回目のシベリアでは、外に出るサウナではなかったが、面白い風習が見られた。現地の人は、タオルの代わりに帽子をかぶってヴェニクという体を叩く木の枝を持っている。(何のために枝で体を叩くのかは書いてなかった。)

 スッポンポンに帽子と木の枝だけというのが面白い。帽子は耳や頭がやけるのをふせぐためだろう。(略)サウナから出ると肩や腰に白いシーツをまきつけてローマのネロ皇帝のような格好をしてくつろぐ。タオルを一切つかわない、というのが面白かった。

 次は、ラオスの薬草サウナ。これは、初めはぬるく感じるのに、じわじわと温まり、大量の汗が流れてきて、何やら薬草が効いてきているような気がしたそうだ。薬草の香りがするのだろうか? これなら私もちょっと体験してみたい。

 韓国のサウナでは、韓国の人の体格が良いことに驚いている。前を隠さず、ロッカーの鍵を足首にくっつけるのがコリア式で、鍵を手首につけてタオルで前をかくしている日本人は目につくとか。お国柄が違うとちょっとしたことも違いますね。

 モンゴルのサウナは、草原の川のそば。
 ただもう熱く蒸した部屋があるだけで、人によっては目の前の川に入って体を冷やすが、川にはひっきりなしに牛や馬の糞が流れてくるのでタイミングが難しい。馬糞は形が崩れてもまだ固まりを保っているが、牛糞は水にとけてくるので大量のそれが通過したあと臭いで気がつくということになる。慣れればこれも楽しくなってくるから人間というのはけっこうしぶとい。

 しぶといのは人間ではなく、椎名さんですよね。
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2006年02月15日

口、喉、胃で味わう人

 椎名誠さんの連載エッセイ「風まかせ赤マント」【週刊文春 2月16日号】が、777回目を迎えた。777という数字にこだわって、西暦777年の出来事やら郵便番号などまで持ち出し、だんだんとこんな調子になっている。

 ムカデの足の数は最大で三五四本だが、ヤスデはなんと七一〇本もあるのだ。七七七本に六七本足りないが七一〇本もあればいいではないか。

 自分からヤスデの足の本数について言い出しておいて、”710本もあればいいではないか”というところが、椎名さんらしくて好きだ。このエッセイは、「旅」、「食べる」、「遊ぶ」がキーワードだろうか。椎名さんは旅した先で、地元の人たちが普段食べているような庶民的な料理を食べるのが好きらしい。今回は取材の為、高松でうどんを食べ歩きしている。

 編集者と朝八時に有名なセルフうどん屋に行った。早朝六時からやっているのだ。打ちたてのをすぐ茹で、あつあつのうどんに生卵とトロロ芋。熱いダシ汁をかけて二五〇円。我を失うほどのうまさだ。

 テレビのグルメ番組で、レポーターが言う感想が口先だけに思えることが多い。口先だけの言葉という意味なのだが、実は、味も口(舌)だけで感じているのではないかという気がする。おちょぼ口に入れた途端「美味しい」という。

一方、椎名さんの文を読んでいていつも思うのは、ムシャムシャと身体全体で味わっている感覚が伝わってくる。たぶん料理を食べようとするとき、口を開くだけでなく、喉も胃ももう待ち構えているのではないだろうか、食べ物が通過するとき、口だけでなく喉も胃もちゃんと味わっているのではないか、そんな風に想像してしまう食べ方をする。

 ともあれ、777回というのは単純計算でも16年間以上の連載ということで、今までどれほどの料理が椎名さんの胃を通過していったのだろう。ありふれた言い方だけれど、お体を大切にしてずっとずっと連載を続けていただきたい。
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2005年12月17日

釈然としない

 言われて初めて、確かにへんな習慣だと思ったことがある。椎名誠さんの「風まかせ赤マント」【週刊文春 12月22日号】を読んで気づいた。

 結婚式や何かの祝いのパーティーなどで祝電に拍手するのもつまらない習慣ですね。何とかいろいろやりくりしてそこに来た人に、来る気もなかった代議士などに言われてそいつの秘書が「祝電事例集」かなんかパラパラやって送ってきた「お仕着せ文句」に全員で拍手するのはあまりに悲しく間抜けではないか。

 祝辞の挨拶に拍手している流れなのか、なんとなく祝電に対しても拍手していたかもしれない。けど、今ふと我にかえって、「これからは特に政治家の祝電には拍手なんてしないぞ」と決心した私である。まあ、そんなに意気込むほどのことでもないのだけれど。

 椎名さんは「気になる言葉」もいくつか挙げている。たとえば、なんでもすぐに「達人」と呼ぶことにも抵抗を感じているようだ。それで思い出したけれど、「カリスマ」という言葉も安易に使われすぎて、全くありがたくなくなっている。「もっと特別な神々しい人を形容する言葉なのに〜」と心の中でぶつぶつ言っている。

 もうひとつ。
 テレビのアナウンサーやレポーターはどうして「思います」を連発するのだろうか、ということも考えだすと寝られなくなる。
「ではこれからあのお店に行ってみたいと思います」
「このお店のおダンゴはおいしいと思います。おかわりを頼もうと思います」
「ではお金を払いたいと思います」
 なんて具合で常に「思っている」。
「思わない」ほうが言葉はきれいだ。

 私もこの「思います」に釈然としないものを感じていた。テレビで何かの謝罪会見のとき、「謝りたいと思います」というのを聞いて、これから謝るのかと待っていたら、いっこうに謝らない。つまりそれが「謝罪」の言葉だったらしい。『謝りたいと思います=申し訳ありませんでした』らしいのだ。謝られた気がしない。

 では自分はそんな言い方を絶対していないかと言うと、冒頭の拍手ではないが、無意識のうちに使っているのかもしれないので、「気をつけたいと思います」。
…ではなく「気をつけます」。はい。
のり at 16:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠