アメリカの電球ジョークというジャンルを知ってますか? お茶の水女子大学哲学科の土屋賢二先生が「ツチヤの口車」【週刊文春 3月16日号】で紹介しています。
『○×(バカにしたい民族の名)人が電球を交換するには十人必要。一人がテーブルの上に立って電球をあてがい、九人がテーブルを持って回す』というものだそうです。これをモデルにして、ツチヤ先生は「電球を交換するには何人必要か」と、13ものケースを考えています。中でも特に私のお気に入りを幾つか挙げてみましょう。
★日本の小学生が交換するにはクラス全員が必要。不公平にならないように全員が少しずつ回す。
一人だけにさせると、お母さん方からクレームがくるのでしょうねえ。
★官僚組織なら多数。交換願いの書類を出す者、書類の不備を指摘する者、過去の事例を調べる者、許可証を発行する者、業者の納品書、申請書、領収書をチェックし保存する者(電球の欠陥を調査する者はいない)。
余計な手続きは多いのに、肝心なことは抜けている。最後の”電球の欠陥を調査する者はいない”ってところがトドメ。
★俳人ならゼロ。交換しないで「暗がりに猫の声する春の宵」などと俳句を詠む。
ある意味プラス思考。
★学生ならゼロ。教師が交換を命じると、学生が「そんなことをなぜ学生にやらせるんですか」と説明を要求し、議論の結果、論破された教師が取り替える。
論破されてしまうところが哀れ。では、学者同士なら…。
★哲学者なら多数。電球が切れたと主張する者、その証明を要求する者、電球の存在が疑わしいと主張する者、「われ思う、ゆえにわれあり」ということしか確実ではないと主張する者、それに反論する者、まず電球とは何かを明らかにすべきだと主張する者、それに反論する者、(すみません、あまりに長いので途中23行ほど割愛させていただきますbyのん)…二千年以上たっても電球を取り替えるに至らない。
多数というより、誰も役に立たないってことですね。
どのケースもバカバカしく、しかも、なかなか電球を交換できない。風刺に妙なリアリティがあって、よくこれほど考えられるものだと、笑いながら感心してしまった。でも、こう言ったら”みもフタも無い”んですけど、なんでもいいから早く電球を取り替えてくださいな、特に哲学者の先生方。