そう、池袋で乗り換えるときも新宿で降りるときも、電車からまさに吐き出されるようにホームに降り立ち、やっと呼吸ができたような気がしたものだ。6年以上もよく通えたものだと思う。
もうずっと昔のことなのに、そんな痛さや息苦しさが蘇ってしまったのは、北尾トロさんの「ガラスの五十代」【週刊文春2008年7月3日号】を読んだせいだ。
ふだん通勤電車には縁のない北尾さんが朝7時半ごろの超満員電車に乗り合わせ、パソコンなどが入った荷物を持ったまま、長身の男性(壁男)と小柄な男性(坊主頭)に挟まれ身動きができない様子に、「そうそう、そんな感じだったなあ」と思い出した。
電車が大きく揺れた反動でパワーアップした坊主頭の体当たりで、パソコンの角がみぞおちを直撃したのだ。く、苦しい、息ができん。壁男からのプレッシャーもますますきつく、身をそらせることもできない。
よせ、そんなに尻を突き出すんじゃないよ。こ、腰が。キャリーを握る左手も、すでに感覚がなくなり始めている。
北尾さんの目的地は四ッ谷だったのにとても耐えられないと、新宿でいったん降りてしまった。
いけない、私がこのエッセイを取り上げたのは、なにも満員電車の辛さだけを語りたかったのではない。車内で泣きそうな顔をして耐えていた痩せた男性のことを、北尾さんが温かく描写しているところに、ちょっと感じるものがあったからだ。新宿で降りて…。
車内を見ると、スダレおやじがつり革を確保し、髪の毛をかきあげているところだった。年齢は50代後半くらい。よく見ると優しそうな顔をしている。家庭は円満、会社では部下にも愛されていそうだなあ。
スダレおやじはバッグから新聞を取り出して読み始める。オレの通勤タイムはこれからだよ、と言わんばかりの余裕しゃくしゃくな表情だ。
こりゃ一本取られたな。発車する電車を見送りながら、ぼくはスダレに軽い尊敬の念を抱いていた。
「尊敬の念」という言葉は、けっして皮肉や茶化したものではないと思う。
私からも、多くのビジネスマン、特に長年勤め続けているみなさんに、心から「お疲れさまです」。
