2007年09月21日

日本人も悪くない

 先日、関東に台風が直撃した。天気予報を固唾を飲んで見守っていた人も多かったはずだ。棋士の先崎学八段も順位戦を控え、大変に気を揉んでいたそうだ(「先ちゃんの浮いたり沈んだり」週刊文春 2007年9月27日号)。

 電車が動かない場合を想定し、ホテルに泊まることにしたが、実際電車はほとんど正常に動いていた。


 凄いなあ、と思った。あの風雨の中、交通の保全をするためにどれだけの人が苦労したことだろう。事故もなく動くほうが奇跡なのである。


 ああ、そうかもしれない。そういう人たちのことを忘れていたかもしれない。


 川だって溢れない。偶然ではないのだろう。昔の川はよく溢れたものだ。伊勢湾台風や神田川の氾濫の教訓はきちんと生かされている。そしてその裏には江戸時代から連綿と続く治水との闘いの歴史がある。日本は悪くない。そう、日本は悪くないのである。


 ニュースを見聞きしていると、何も信じられないような気持ちになるほど日本の欠点ばかり目についてくる。でも、誇れることだってたくさんあるんだ。あたりまえと思っていたことをちょっと角度を変えて見直してみれば、「日本は悪くない」というか「日本人も悪くない」と思えてくる。
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2007年04月10日

こっちの水は甘いぞ

 初めて水の味にショックを受けたのは、高校の水道水を口にふくんだときだった。「何これ? まずいっ」。それまで水に「おいしい」とか「まずい」があるなんて、思ってもいなかった。

 自宅と高校は(同じ埼玉でも)50キロほど離れていただろうか。荒川の流れで比べるならば、上流と下流の違いがあるので、「下流ほど水はまずくなるものなんだ」などという説明に、なんとなく納得した。

 その後、もっと下流である東京で、さらにまずい水道水を知り、やっぱりねえと確信した。もちろんそれだけが原因ではないのだろうけれど…。

 そんなはるか昔のことを思い出したのは、棋士の先崎学さんの「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 2007年4月12日号】を読んだからだ。


 あれはたしか二十年ぐらい前だろうか、大阪で対局した折、地元のうどん屋で先輩棋士にいわれた。

「うどんとお好み焼きはうまいんやけど、水がまずいさかい、気いつけてな」

 私ははあ、とうどんをすすりながら首を傾げた。それまでの人生で水の味なんて、気にしたことが一度もなかったのである。


 ところが、

 夜、大阪で泊まっていたそこそこに格式ある老舗のホテルで水道の水を飲んでみた。

 すぐに鼻にツン、ときた。これが噂のカルキ臭かあ、と思った。

 不思議なもので、前日までは匂いなんてまったく気にならなかったのである。単に私が鈍感なだけかもしれないが、とにかくこれぽっちも意識しなかった。


 そのときから先崎さんは、大阪の水道水が飲めなくなったばかりか、東京のものまで飲めなくなってしまったそうだ。歳月が経ち、浄水システムが変わり、大阪も東京の水道水もだいぶ改善され、おいしくなってきたという。今では先崎さんも(浄水器つきの)水道水をごくごくと飲んでいる。

 私は、おいしい水の地で生まれ育ったことを、今さらながらありがたいことだったなあと感謝している。
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2006年10月31日

カメラマンという存在

 棋士・先崎学さんの「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 2006年11月2日号】に、カメラマンについての素朴な疑問が書かれています。私も兼ねがね同じようなことを思っていたので、面白く読みました。

 動いている被写体なら腕の良し悪しがあるだろうし、静物だとしても照明や位置などを決めるところまではカメラマンの技術が介在するのもよく分かる。しかし、それらの状況が決まってしまえば、あとは誰がシャッターを押そうが同じではないか、というのが先崎さんの疑問でした。

 先崎さんは、酒の席で友人のカメラマンに、この疑問をぶつけ「私が押すのとプロが押すのとでは、何が違うのだろうか」と尋ねたけれど、「お前が押すのと俺が押すのじゃ、全然違った写真になる」と返された。理詰めで説明を求めても、「それが写真というものなのだ」と言われてしまう。分かる人から、分からない人に、言葉では説明できない次元の話なんでしょう。

 私は納得できなかったが、同時に感動も覚えていた。自分から一番遠いところにある奥深い世界に胸がときめいたのである。

 私も芸術からほど遠い人間なので、自分の理解を超えた世界に憧れもありつつ、自分に感じられないものを感じることができる人たちが不思議でもあります。名画を前にして、どう説明されても、私にはわからないと思うのです。

 写真でなくともよい。絵、音楽など、真の意味で理詰めではない世界に生きてみたいとよく思う。今さら無理なことは分っているが、だからこそ強く憧れる。

 同感です。いわゆる”クリエイティブ”な仕事や趣味を持っている人が羨ましいです。ただ、理詰めの世界といっても、プロ棋士の頭の中だって、私たち素人から見たら芸術的ですらありますけどね。
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2006年04月03日

マラソンを走る棋士

 ふだん、運動不足な人にとって、3キロ走ることになったら、かなりキツイでしょう。動かない職業の最たるもの、将棋や囲碁の棋士たちが、3キロマラソンをしたことが、将棋棋士、先崎学八段の「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 3月30日号、4月6日号】で2週に渡って書かれている。

 3月中旬の暖かい日曜日、マラソン大会(3キロの部)に出場する予定の先崎さんだったが、あいにく体調は最悪。前日に出席した結婚式で痛飲し、この朝、大いなる二日酔いで目覚めたのだ。しかし、自分に叱咤し、ふらふらのまま参加する。これは、棋士たちが数十人で走って、終ったあとにバーベキューをするという会なのだそうだ。先崎さんの奥様は囲碁の棋士。夫婦で参加する。

 さて、最悪の体調でスタートした先崎さんは、それでも、どんなに苦しくても歩かないと決めていた。若手女流棋士(囲碁)たちや、奥様にも抜かれた。走っていて苦しくなったとき、普通、自分をどんな言葉で励ますものなのだろうか。先崎さんは…。

 苦しくなると、頭の中で呪文を唱えた。「歩いたら負け、歩いたら負け」
 道中は、ほとんどこの文句を頭の中で呟いていた。悲しい性(さが)というのか「絶対歩かない」ということばよりも「負け」ということばが入ったほうが気合が入るのだ。

 さすが勝負師! それが功を奏したのか、奥様や若手の女流棋士たちをも抜き去る。

 やっぱりねえ、と思った。若くとも、所詮は碁打ち、畳の部屋に座りつづけることを生業とする人種なのである。要は、三キロのレース全体の終ろのほうに、碁打ちがかたまって、抜いたり抜かれたりしながら、ヒーコラ走っているのだった。

 先崎さん、だんだん言うことが大きくなってきましたねぇ。…へとへとになりながらもゴール。遅れること数分で奥様もゴール。

 ゴールするなり、何やら妻は怒っている。
「こんな二日酔いに負けたかと思うと腹が立つやら情ないやら」
 朝の私の醜態を知る者にとって、後塵を拝するのは屈辱だったようだ。

さすが、奥様も勝負師、”負ける”のは、か〜なり悔しいんですね。
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2006年01月23日

新年早々ついてない人

 年が明けてもう一月も下旬になってしまいましたが、皆さん何か良いことありましたか。良いニュースのあった方、良かったですね。でも当然世の中そんな人ばかりではありません。かくいう私も、年が明けてたった二週間のうちに、自分のそそっかしさから2度もケガをして、洗濯機も壊れました。ケガといっても捻挫と打撲程度ですし、洗濯機も長年使っていたものなので、買い替えるのも仕方ありません。つまり1つ1つの出来事はたいしたことないのですが、それらが続けて起こり、かつ正月早々というところで「なんだかなあ〜」という気持ちになってしまいました。

 棋士の先崎学八段も年末からついていなかったようです。(「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 1月26日号】)年末にケイタイを紛失し、そのショックで倒れていたら風邪をひき発熱し寝込み、そのうえ歯の詰め物が取れるという始末。悪いことが続き、少し神経質になった先崎さんが、一体どうしたかというと…。

 三が日が過ぎ、すこし元気になったので、お祓いで麻雀を打つことにした。御払いで麻雀とは妙な感じだろうが、私にとって麻雀とは厄除けのようなものなのである。なんだかあの奇妙な模様の牌でワイワイ皆でやると、身についた厄がおちていくような気がする。まあ、ゲームを御祓いに使うというのは、将棋指しらしいともいえるだろう。

 その麻雀に少しだけ勝って、気分が良くなったようです。目からウロコ。自分で「厄除け」だって思えば、麻雀でもいいんですよね。要は気持ちの持ちようってことでしょう。そういえば『験直し:げんなおし(悪い前兆が現れた時、よくなるように祝い直すこと。縁起なおし)』って言葉もあります。「げんなおしに一杯飲もう!」などと使います。だとしたら、新年早々ついていなかった皆さん、何か手軽に出来る自分なりの「げんなおし」をしてみたらどうでしょう。気分転換になったり、楽しければ何でも良いのではないでしょうか。私もまだ少々痛い足をさすりながら考えています。(奮発して美味しいものでも食べに行こうかな)
 
 でももし何も出来なくても大丈夫! 2月になるのを待ちましょう。だってよく言うじゃないですか、「月がかわると、ツキもかわる」ってね。頑張りましょう!
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2005年11月17日

瀬川さんとプロ棋士たち

 瀬川晶司さんがプロ棋士になったときから、このエッセイを楽しみにしていた。先崎学八段の「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 11月24日号】。プロ棋士は今回の特例に関してどう思っているのだろう、という興味があった。ところが読み進めるうちに、自分が大きな勘違いをしていたことに気がついた。私はプロ対アマという構図だけで見ていたのだが、先崎さんはこう書いている。

 ある世代の将棋指しにとって瀬川さんは、青春、苦楽を共にした仲間である。麻雀を山ほどやり、部屋に転がり込んで、ある時は酒を飲み、あてどのない奨励会という立場をなぐさめ合った。私はすでに棋士で、先輩格だったが、よく遊んだものだった。だから我々にとって瀬川さんのプロ入りというのは、昔の仲間が帰ってくるという意味合いが大きい。

 にわか仕込みの知識で申し訳ないけれど、なんでも奨励会に所属して「26歳までに四段」にならないとプロの道が絶たれるらしい。その日を境に別々の道に進んだものの、それまでは一緒に切磋琢磨していた仲間だったわけだ。外部の人間が、「たのもぅ」と道場破りのごとくやって来た図を思い描いていたのは、まったくの見当違いだったのだ。

 ところで、先崎さんは瀬川さんを「もっとも幸せな棋士」かもしれないと言う。一見遠回りした瀬川さんだが、それによって好きな将棋を職業とすることがどんなに素晴らしいかが分ったと語っていたからだ。インタビューでも、今までの社会生活は(将棋のうえでも)決して無駄ではなかったと答えていた。「人生無駄なことはない」と言われているけれど、無駄にするもしないも本人次第だろう。やはり瀬川さんは物の見方が前向きで強い人なんだと思う。さて、プロ入りを決めた日、

 打上げの後、誰からともなく、胴上げをしようということになった。二回、三回と宙を舞う姿を見ているうちに、時代の旬に立ち合っているという高揚感が私を包んだ。

 「何事も無駄な経験はない」人生になるよう、私も頑張らねば…。
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2005年10月21日

プレッシャーに負ける

 先日『ソフトと対局に「待った」 日本将棋連盟が全棋士に通知』というニュースを目にした。すべてのプロ棋士は、公の場で許可なく将棋ソフトと対局してはいけなくなったらしい。詳しく読まずに「ああ、そうなのか。将棋ソフトがかなり強くなっちゃったんだね」と思っただけだったのだが、棋士の方々はどう考えているのか知りたくもあった。

 棋士である先崎学八段の「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 10月日号 P.75】に、最近、将棋連盟では「ボナンザ」という将棋ソフトがプチ・ブームだと書いてある。奨励会員など若手が対戦していて、その強さはアマチュアのトップよりちょっと弱いくらいなんだとか。ここで描かれている様子で一番なるほどと思ったのが、次のくだりだ。(注:M氏というのは、ネット中継のスタッフ)

 M氏は調子に乗ってボナンザを使って次々と勝負を挑みはじめた。ヒマな棋士をつかまえて「五連勝できるかどうか」といくのである。五連勝のところは人によって三だったり、七だったりするが、まあこういわれると人間として後には引けない。いざ勝負となる。
 ところが、たしかに人間の方がずい分強いが、確実に連勝するというのは難しく、たいがいM氏の勝利に終る。見ていると、何連勝かして、あと一、二番というところで負けるケースが多い。まことにプレッシャーというものは凄いものである。

 「人間フルえる(勝ちを意識し過ぎて、間違えるの意)、コンピュータ、フルえない」とか「人間強いけど馬鹿、コンピュータ弱いけどかしこい」などと言ったりするそうだ。なるほどコンピュータにはプレッシャーがかからない。スポーツなどの勝負事が予想外の展開になることも珍しくないのは、プレッシャーを感じる人間がやっていることだからだと思う。プレッシャーは身体を固くするだけでなく、思考力や判断力まで鈍らせるようだ。

 さて、最後に先崎さんは、今回の将棋連盟からのお達しについては、「変に肩肘張らないほうがいいような気もするのだが。」と締めくくっている。プロ棋士としてのプライドと余裕だろう。
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2005年07月16日

将棋とコンピュータ

 将棋は極めて複雑な頭脳ゲームだ。しかしコンピュータの将棋ソフトは、今最強のものともなるとアマチュアに混じるとトップクラスらしい。

 棋士の先崎学八段の「先ちゃんの浮いたり沈んだり」【週刊文春 7月21日号 P.73】にはこんなことが書かれている。

 アマチュア竜王戦というアマ棋界のビッグ棋戦は、今期からコンピュータ枠をひとつもうけ、毎年行なわれるコンピュータ将棋選手権の優勝ソフトを参加させることにした。下馬評はあまりかんばしいものではなかったが、なんと全国のアマ強豪を次々と破り、ベスト16入りという快挙を成しとげたのである。

 想像以上のレベルだ。私は将棋についてはほんの僅かな知識しかないが、オセロ、チェス、囲碁よりもコンピュータ向きではないと聞いたことがある。アマチュア相手とはいえ、そこまでいっているとは驚きだった。

 ところで、強いソフトを作れば売れるかというと必ずしもそうとは限らないらしい。そりゃそうだろうと思う。コンピュータに負かされてばかりでは誰だって嫌になる。それに、終盤の一番おもしろいところで、非情にも絶対間違わないのである。

 私が開発者なら、何回かに一回は詰みをのがすプログラムを作る。もちろん逆にわざと詰まされたりもする。あるいは、「大ポカモード」のようなものを作って、たまにとんでもない大悪手を指したりする設定を作る。

 先崎さんがこう話したら、棋士仲間に「先崎さんもやっぱり負けるのが恐いんでしょう」と言われてしまったそうだが、このアイディアはとても面白いと思う。ゲームソフトに人間性を取り入れたらどうなるのだろう。

 プロ棋士でさえ、「しまった!」ということもあるはずだ。実際強いソフトを作るより、ある意味難しいかもしれないけれど、マシンがたまに「しまった!」という失敗をしたら、それはドラマチックだと思う。

 同じソフトでも、日替わりで個性が出て、強気な手を指したり、慎重だったり、あるいはアニメでポーカーフェイスが出たり、焦った表情が出たりして…などと、勝手な空想が次から次へと浮かんできてしまった。だったら人間相手にすればいいってことですけど。
のり at 14:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 先崎学